【美袋】総社市〜岡山県内屈指の難読駅名。その地名の由来は?

美袋(総社市)

美袋』は『みなぎ』と読む。岡山県の南西部・総社市の北部にある地名(大字)だ。

難読地名として岡山県周辺住民の間ではよく知られている。そして美袋にはJRの鉄道駅 美袋駅があり、鉄道好きの間でも有名なのだ。

しかしなぜこんなに読みにくい地名なのか?探ってみるとともに、美袋の地を紹介したい。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

 

美袋はこんなところ

美袋は総社市の北部、高梁川の東岸に位置する。総社市街と高梁市街のおよそ中間地帯となる。

昭和地域(旧 吉備郡 昭和町)、およびその一部である日美(ひよし)地区(旧 吉備郡 日美村)の中心的エリアである。かつての役場や現在の市役所出張所、学校や昭和地域唯一の駅などの施設が美袋に存在している。

美袋駅(総社市)

JR美袋駅

吉備高原から続く山地が南へ張り出したところで、北から流れて来た高梁川が、大きく西へ迂回。山と湾曲した川が平地部がつくり、いわゆる盆地を形成。

その盆地と張り出している山地部が美袋の範囲。

そして川と山に沿うようにJR伯備線と国道180号線が通る。また盆地部に美袋の主要部となる集落がある。

美袋(総社市)

江戸時代には西国街道の宿場である板倉(現在の岡山市北区吉備津)と高梁の備中松山城下を結んだ松山往来の宿場町、高瀬舟による高梁川の水運の川港町、松山城下と玉島湊を結んだ玉島往来と松山往来の分岐点として渡し船の地となるなど、交通の要衝として栄えた。

現在も一部、その面影を感じられる町並みが残っている。

美袋の歴史

美袋(総社市)

美袋八幡神社

古代においては備中国 賀夜郡(かやのこおり、のちの賀陽郡)にあった日羽郷(ひわごう)の一部といわれる。この日羽郷は現在の美袋の東隣にある日羽地区が遺称地。その範囲は総社市の昭和地域のうち高梁が北岸域と、吉備中央町のうち旧賀陽町の大和地区とされる。

文献上の初見は室町時代で、荘園の名称として登場する。

京都の東寺に残る『東寺百合文書(とうじ ひゃくごうもんじょ)』の山田具忠書状に、1482年(文明14年)4月、戦乱ににより「東持寺領みなき庄」の主が討たれたとあるのが初見。

東持寺(とうじじ)は現在も京都に残る等持寺(とうじじ)のことで、室町将軍足利家の菩提寺。等持寺が領有する荘園として美袋を中心とした一帯に「みなき庄」があったと推定されているが、その範囲は明確ではない。

美袋(総社市)

江戸時代前期に記された歴史書『備中集成志』には、美袋に大渡城(おおわたりじょう)という山城があって、戦国時代の永正年間(1504〜1521年)に陶山氏の一族である田辺高倫という武将が居城していたという。美袋八幡宮に田辺出雲守高倫の棟札が残っている。

その後、永禄年間(1558年~1570年)に備中松山城主 三村氏の家臣である結城忠秀が入城。

しかし備中兵乱が勃発し、1575年(天正3年)に毛利方の小早川隆景に攻め込まれ児島へ退却した。

大渡城は現在の美袋と北隣の種井地区との境界にある丘陵上にあたる。

美袋(総社市)

その後、江戸時代までの間に賀陽郡 美袋村と呼ばれるようになる。

江戸時代の初期は幕府直轄領として松山城代の管轄下にあった。備中松山藩が立藩されると、松山藩領となる。松山藩主 水谷家が断絶したときに一時的に幕府領として倉敷支配所に移るが、再び松山藩領に戻った。

また江戸時代は美袋は松山往来の宿場町であった。

松山往来は、西国街道(近世山陽道)の宿場町であった板倉宿(現在の岡山市北区吉備津の北側。吉備津駅周辺)から北西へ分岐し、高松、総社を経て備中松山城下へ至る重要街道だ。

美袋には大名など上級身分の者が宿泊する本陣が置かれ、田辺家が本陣をつとめた(美袋本陣)。美袋本陣は現在のJA岡山西の昭和支店の場所。ちょうど昭和中学校の南側で、美袋八幡神社の北東に位置する。

さらには松山往来の美袋から南へ分岐し、現在の総社市山田、真備町箭田を経て玉島湊へ至る玉島往来があり、美袋から高梁川対岸の下倉地区へわたる渡し船が運航されていた。

玉島往来もまた、松山城下から備中屈指の湊へ連絡する松山藩にとっての重要街道だった。

美袋(総社市)

そして美袋は高梁川を航行する高瀬舟にとっても重要な川港でもある。

このように美袋は江戸時代の交通の重要拠点であり、松山藩にとっての重要地区の一つであったのだ。

そのため幕末の動乱期には、討幕派の岡山藩が佐幕派の備中松山藩を討ちに向かう途中に、美袋村内で岡山藩士と美袋村民の間で一触即発の事態となった「松山美袋駅事件」が発生した。

美袋(総社市)

明治時代になって、1889年(明治22年)の町村制施行により同年6月1日に賀陽郡 日羽村などと合併して賀陽郡 日美(ひよし)となり、美袋に役場が設けられた。日美とは中心地域となる日羽と美袋の頭文字の合成地名だ。

1900年(明治33年)4月1日には賀陽郡と下道郡の合併により、賀陽郡から吉備郡へ郡管轄が変わる。

1952年(昭和27年)4月1日に吉備郡日美・富山・下倉・水内の各村が合併して吉備郡 昭和町が発足。美袋に役場が設置された。

1972年(昭和47年)4月22日に昭和町が旧 総社市に編入合併。その後、2005年(平成17年)3月22日に旧総社市と都窪郡山手村・清音村が対等合併して、現在の総社市となった。

旧自治体名の昭和および日美は住所表記上は消滅したが、行政上の区域分けとして現在も使われている。

 

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地名の由来

漢字表記について探る

美袋(総社市)

元来の字は「美囊」

美袋は元々は「美囊」と表記されていた。

「囊」と「袋」は意味は同じ「ふくろ」でもまったく別の字。「袋」の旧字体が「囊」というわけでない。

元は「美囊」と表記されていたが、漢字が難しい上に意味が同じである「袋」と混同され、「美袋」と誤記され、それが定着したと思われる。

播磨国の同名地名がヒントになる

美嚢の地名由来のヒントは播磨国にあった美嚢郡だ。現在の兵庫県三木市周辺になる。

古代に備中国賀夜郡に美嚢(美袋)の地名が書かれた書物はない。しかし同名の郡名が現在の兵庫県にあったのだ。

美嚢郡は近現代においては「ミノウ」と読むが、古代には「ミナキ」と読んでいたことが古代の書物『和名類聚抄(和名抄)』からわかる。

奈良時代の好字2字の制度が影響か

なぜ美嚢と書いて「ミナキ」と読むのか。

これは当て字であることは間違いないだろう。くわえて奈良時代の地名を漢字2字の好字で表す風潮も影響していると考えられる。おそらく元来は漢字3字を地名に当てていたのではなかろうか。

「囊」の音読みは「ノウ」「ナウ」である。「ミ」には「美」、「ナ」には「囊」、そして「キ」には何かしらの漢字が当てられ「ミナキ」を「美嚢□」と3字で表記。これが2字化の過程で、前から2文字のみの「美嚢」で表記し、これまで通り「ミナキ」の読みをしたのではないか。

なお、備中国賀夜郡の「美嚢」が文献上で初めて出てくるのは室町時代。「みなき庄」という荘園名として登場する。ただし表記はひらがなだ。

おそらく漢字が難しいからだと思う。しかしここまで難読な地名であることから、室町時代以前より存在していたと推測できる。しかも漢字2字の影響を受けたと考えられることから、文献上には出ていないが、小地名として古代からあったと私は考える。

読みと語源を探る

美袋(総社市)

美袋の漢字表記について考えてきたが、次に「ミナギ」の読みと、その語源について考えてみたい。

先に述べた通り、美袋の文献上の初見ならびに同名地名である播磨国美嚢郡からの例から、美袋は元は「ミナキ」と呼ばれていた。それがいつしか「ミナギ」に変化したのだ。

美袋の地名は俗説として、美袋で大きく迂回している高梁川に由来するというものがある。川の流れが激しく音を立てるさまから「水鳴き(みなき)」となり、それに美袋の字を当て、読みが「みなぎ」に変化したということらしい。

しかし私はこの説には懐疑的だ。

崩落地形に由来か

美袋が古くからの地名であるとすると、同名地名である播磨国美嚢郡と同じ由来の可能性が考えられる。美嚢郡も規模こそ違うが、加古川および支流の美嚢川が流れる山間の地域という似た地形だ。美嚢郡にも同じく川に由来する「水泣き」説など様々な説話的由来がある。

しかし古い地味の多くは地形に由来していると私は考える。

『古代地名語源辞典』によれば美嚢(ミナキ)の地名の「ナキ」は崖地のような山が崩れた地形を指すという。「ナク」という「切り倒す」という意味の言葉があり、そこから派生した言葉のようだ。実際に国語事典にも「ナギ」として載っており、漢字で「薙」と書く。「なぎ倒す」の「ナギ」も同様だ。

「ミナキ」の「ミ」は2つの説があり、水=河川を指す説、もうひとつは接頭語で「御」という説がある。前述の様に備中・播磨どちらの美嚢も大きな河川に面しており、どちらの説も可能性が考えられる。

結論として美袋・美嚢の地名は、「山が崩落したところ」「河川沿いの山が崩落した地」が由来と考える。

美袋のみどころ

美袋(総社市)

  • 美袋駅
    – JR西日本の伯備線の駅。駅舎の大部分は開業当時の姿のままで、登録有形文化財、総社市指定史跡になっている。またNHK教育『シャキーン!』の「なんどく列車ツアーズ」のコーナーにも登場した。
  • 美袋八幡神社
  • 美袋本陣跡
    – 現在はJA岡山西 昭和支店となっており、形跡はほとんど残っていない。美袋八幡神社のすぐ北東。
  • 大渡城跡

美袋への行き方

JR西日本 伯備線の美袋駅があるため、同駅で下車。

 

 

美袋(総社市)

 

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
  • 『日本歴史地名体系 岡山県の地名』平凡社
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館

 

古い地名の由来は諸説あります。
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