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秦(総社市) 〜 豪族秦氏ではなく高梁川の「川端」の地が由来。

秦 石畳神社からの風景

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(はだ)は岡山県総社市の大字です。 読みは「はた」ではなく「はだ」。

吉備地方在住の方には、高梁川の西岸で、岡山県民なら大型滑り台のあるプールで知られるサントピア(旧 厚生年金休暇センター)の所在地といえピンとくるかもしれません。

年配の方には元首相の橋本龍太郎のルーツの地といった方が分かるかも。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

秦はこんなところ

秦は総社市中部の高梁川西岸にあたります。
ちょうど高梁川が平地に出てきたところで大きく南に迂回するところ。
南北に長い平野となっています。
しかし平野は細長いですが、範囲の西半分は山地となっていて、山地も含めるとかなり広域な地区となります。

西の山地は「正木山(まさきやま)」と呼ばれる高い山で、秦を含む高梁川西地域の象徴的な山となっています。

正木山の山麓と高梁川寄りのエリアに集落が集中していて、それ以外は田園となっています。
またブドウ栽培も盛んで果樹園も多く、ブドウの選果場も立地しています。

正木山(久代から望む)

正木山。 西隣の久代地区から撮影。

正木山の南方の丘陵上には旧 厚生年金休暇センターが立地。
大型滑り台が設置されたプールが夏場に人気となっています。
現在はウェルサンピアを経て民営施設のサントピアに変わっています。

また秦は元首相の橋本龍太郎のルーツの地。
日本麦酒(現 サッポロビール)の役員もつとめた龍太郎の祖父が秦の出なのです。
龍太郎が岡山県を地盤としていたのはこのため。

南端の久代・上原との隣接地は中学校や公民館、郵便局などが集中。
周辺地域の中枢的なエリアとなっています。

地名の由来

一般には「秦氏」由来とされるが実際は地形由来で「川端」が有力

秦は古代には備中国下道郡(しもつみちのこおり)の秦原郷(はたはらごう)の一部だったとされます。
そして秦は秦原の遺称地なのです。

ではその秦原郷の由来はなんなのでしょうか。

秦の名から、古代の渡来系豪族の秦(はた)氏の一族が集住し当地を本拠としたという説が一般的となっています。

しかし当サイトでは古い地名は漢字は当て字の可能性があると考えています。
ですからこの秦氏居住説は字面を元にした説話だと思います。
実際に秦氏の居住と説明できる資料や遺跡は発見されていないようです。

また当サイトは地名は地形に由来しているものが多いと考えています。

秦 石畳神社からの風景

石畳神社からの風景。 上秦の集落。 目の前で高梁川が大きく迂回して南(右方向)へ流れる。

秦も地形に由来しているとすると、特徴的な地形が目に付きます。

それは目の前を高梁川が大きく迂回して流れていること。
高梁川は備中の大動脈となった大河川です。
その河川の側の地域
ですのでそれこそが地名の由来と考えられます。

つまり秦原(はたはら)=端原で、川端の平野というのが地名由来。

その後、読みが「はた」から「はだ」に変化しました。

なお他説として秦を墾田(はりた)で開墾された新田の地とする説もあります。

ちなみに『古代地名語源辞典』によると他地域の「はた」が付く地名も同様に秦氏居住説が多いようですが、実際は地形由来の可能性が考えられるようです。

歴史

秦 麻佐岐神社

麻佐岐神社 社殿 (現在は新築されいる)

前述の通り古代は下道郡の秦原郷でした。

当地にある正木山は古くから信仰の対象になった山で、古代の有力神社を記載した『延喜式(えんぎしき)』に載る「式内社(しきないしゃ)」である「麻佐岐神社(まさきじんじゃ)」が頂上付近に鎮座。
また正木山は建久9年(1199年)に大嘗会で藤原資実という貴族が正木山を登場させた和歌をつくっています。

秦 麻佐岐神社

麻佐岐神社の磐座。 本殿はなく、磐座を祀る。

他にも秦の北端部には崖上に岩を積み上げたような奇岩をまつる石畳神社(いわだたみじんじゃ)も鎮座。 こちらも延喜式内社です。

また古代の有力寺院跡の秦原廃寺跡も発掘されていて、当時は繁栄していた地域であったことが伺えます。

秦 石畳神社

石畳神社を下側から。 高梁川沿いに奇岩がそびえる。

中世になり平安時代後期には「橋本庄(はしもとしょう)」と呼ばれる有力な荘園が当地にあった記録があります。 現在の秦に「橋本」という小字が残っていて、遺称とされます。

鎌倉時代になると「秦郷」が当地にあった記録が残っています。 この頃の範囲は現在の秦の地とその北側の福谷や下倉の草田地区などが入っていたといわれます。

戦国時代には秦北部の山上に当地を支配していた川西氏が山城の荒平城(あらひらじょう)を築城。
備中を領有した三村氏の側に属していましたが、備中兵乱が勃発して毛利方の小早川隆景の前に落城しました。

江戸時代には本村として秦下 (はだしも)村、その枝村として上秦(かみはだ)・南秦(みなみはだ)・金子(かなご)・大野(おおの)・(あら)・福谷(ふくたに)などの村々に分かれます。 当初はいずれも岡山藩領。 宝永5年(1708年)に岡山新田藩(のち生坂藩)領に変わります。

秦 石畳神社

石畳神社を山上から。

明治時代になり、明治10年に上記の村々が合併して下道郡秦村になります。
しかし同14年に福谷のみが独立分村。 このときに現在の秦の範囲が確定しました。

同22年の町村制施行時に再び秦村と福谷村が合併して、新しい秦村となります。

その後、郡合併により吉備郡に属したのを経て、昭和29年に当時の吉備郡総社町へ編入合併します。
総社町は市制施行を経て、2005年に旧総社市・都窪郡山手・清音村と新設合併して新しい総社市となっています。

まとめ

当サイトでは地形由来を最優先の考え方として、「秦=川端の地」説を支持します。

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参考資料

  • 『日本歴史地名体系 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  •  巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
  • 楠原佑介ほか『古代地名語源辞典』東京堂出版
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館
古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。