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近似(高梁市)〜古代郷名由来の難読地名!「ちかのり」と読む

近似(高梁市)

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近似 (ちかのり)』は岡山県西北部、高梁市(たかはしし)中心部にある大字。

正式には『落合町近似 (おちあいちょう ちかのり)』という。

「似」という字を誰も「のり」と読むとは想像できないだろう。

まさに難読地名といえる。

なぜ近似は「ちかのり」という難読な地名になったのだろうか。

探ってみたい。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

近似はこんなところ

高梁市は中央を南北に岡山三大河川のひとつ高梁川が貫流している。

河川名はもちろん高梁市に由来。

近似は高梁市中心市街地の高梁川よりの西岸一帯にあたる。

地域内のほぼすべては海抜400mほどの台地状の山地。

山地のすぐ東側を高梁川が流れているため平地はほとんどない。

高梁川に面した斜面は急傾斜。

その中部を西から東へ流れる高梁川支流の車谷川がつくる扇状の沖積地に集落が集中している。

対岸の高梁市街とは南から落合橋・高梁大橋・方谷橋で連絡。

近似(高梁市) 高梁稲荷霜月大祭

毎年12月第1日曜に、近似では『高梁稲荷 霜月大祭 (たかはしいなり しもつきたいさい)』が開催される。

高梁稲荷神社前の高梁川沿いの道路が歩行者天国になり、多くの露店並ぶ。

市内外から多くの客でにぎわい、植木市が名物。

高梁の暮れの風物詩として定着している。

近似の歴史

近似(高梁市) 高梁稲荷

高梁稲荷神社

古代・中世

現在の高梁市中心部は元々、高梁川を境に東を備中国賀陽郡(かやのこおり、かやぐん)、西を同国下道郡(しもつみちのこおり、かどうぐん)に分かれていた。

古代、近似がある一帯は下道郡近似郷(ちかのりごう)だったといわれている。

つまり現在の近似は古代郷名を継承したものだ。

近似郷の範囲は今の近似よりも広く、南部の落合町阿部や西部の山中にある松原町などの一帯などにもおよんでいたと推定される。

また高梁川も今よりも東寄りを流れていたと思われ、現在の高梁川東部の高梁市街も一部範囲に含まれると想像される。

平安時代に花山上皇が近似郷に京都の伏見稲荷を勧進。

これが現在も近似にある高梁稲荷神社だ。

その後、中世に下道郡北部が川上郡に分割されたため、川上郡の一部に。

江戸時代までに川上郡近似村が成立。

近世

近似(高梁市) 高梁稲荷

江戸時代になり備中松山藩が立藩すると、幕末まで同藩領になる。

松山藩主・水谷氏が城下町整備のときに高梁川が現在の流れに変更。

記録書『正保郷帳』には近似村の枝村として八長(うなが)村・大瀬村・肉谷(にくだに)村が記されている。

高梁稲荷は備中松山藩の守護神として歴代藩主から崇敬された。

近似村は古くから高瀬舟の航行する川港として繁栄。

高梁稲荷は高瀬舟関係者から交通安全・商売繁盛の信仰があつかった。

また松山藩は近似村の川沿いに鍛冶屋20数戸を寄せ集め鍛冶屋町をつくり、農具・釘などを生産させた。

近現代

明治22年6月1日の町村制実施により南部の阿部村と合併して川上郡落合村(おちあいそん)を新設。

ただし、かつての枝村だった八長・大瀬は近似の北側にできた川上郡高倉村に入った(現 同市高倉町大瀬八長)。

昭和29年5月1日に落合村をふくむ上房郡高梁町など上房・川上両郡の9町村が合併して高梁市(旧)が成立した。

地名の由来

チカノリ=ツカノリで「丸みを帯びた傾斜地」を意味する

近似は古代の近似郷の名を継承したものというのは説明した。

ではそもそも近似郷の「近似」は何を意味するのだろうか?

まず古代から続く地名は漢字は当て字の可能性が考えられる。

また読み自体が変化している可能性もある。

まず「チカ」だが2つの可能性が考えられる。

ひとつは漢字通りの「近い」という意味。

もうひとうは「ツカ」つまり「塚」が変化して「チカ」となり近の字を当てたということ。

 

「近い」の可能性を考えた場合、何が近いのかが分からない。

川が近いと考えても、高梁川は今より東寄りだったので近いという表現ができるかどうかあやしい。

 

となると「ツカ」の可能性はどうか。

ツカは「丸みを帯びて高い」という意味。

近似の地形を見てみると、やや丸みを帯びた台地状の地形だ。

それを考えると「ツカ」の可能性が高いと考えるのが自然だろう。

 

では「ノリ」は何か。

これは一部の方言として今も残っていたりする言葉で、「のけ反る」ことを「のる」という。

体を斜めにする動作だ。

つまり「ノリ」をは「斜め」になった状態のことをいう。

地形でいえば「傾斜地」「斜面」のことだ。

 

今も斜面のことを「法面(のりめん)」というが、その「ノリ」が傾斜を意味している。

実は今も残る言葉なのだ。

 

問題はなぜ「ノリ」に「似」の字を当てたかという点。

 

それは実は大昔は「似る(にる)」を「のる」と発音していたからなのだ。

近似への行き方

JR岡山駅からJR伯備線に乗車し、JR備中高梁駅で下車。

備中高梁駅から駅前通り(国道196号)を西進。

高梁がの土手に出たら、そのまま高梁大橋をわたれば、そこが近似だ。

近似のみどころ

スポット

  • 高梁稲荷神社
  • 大本八幡宮
  • 蓮華寺
    – 天台宗。加治屋町。慶長2年(1597年)創建。
  • 大福寺
    – 真言宗善通寺派。元禄2年(1689年)創建。
  • 松林寺
    – 曹洞宗。延徳2年(1490年)創建。
  • 方谷林公園
    – 山田方谷を記念してつくられた林。
  • 玄賓谷(げんぴんたに)
    – 古代の僧 玄賓にゆかりがある谷。松林寺の近く。

イベント

  • 高梁稲荷 霜月大祭
    – 毎年12月第1日曜に開催。植木市が有名。

 

まとめ

現在の近似の地名は、古代の備中国下道郡近似郷の遺称。

近似の地名由来は「ツカ+ノリ」で「丸みを帯びた傾斜地」を意味し、それが「チカノリ」に音が変化、「近似」の漢字を当て字とした。

 

古代から難しい読みの地名を改めずに現代まで残しているというのは一種の遺産といえよう。

 

 

 

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
  • 『古代地名語源辞典』東京堂出版
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館
古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。