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東山(ひがしやま)は岡山市中区の町丁です。一〜四丁目までがあります。
また同時に古くから岡山城下の旭川東岸にある操山(みさおやま)の西面・西麓一帯の地域通称です。
元々は上道郡(じょうどうぐん)門田村(かどたそん)の一部でした。
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東山はこんなところ
現在の町丁としての東山は岡山市街地の旭川東岸、操山の西側斜面から西麓に位置。
南北に細長い区域の地区です。
玉井宮(たまいぐう)のある弊立山(へいたてやま)のある西部を一丁目、その西南麓を二丁目、その南側を三丁目、さらにその南を四丁目としています。
東山には路面電車 岡山電気軌道 東山線の終点・東山電停があります。
当地には岡山大学附属小学校・中学校・幼稚園、岡山大学附属教育実践総合センター、岡山県立岡山東商業高等学校など教育施設が密集しています。
さらに玉井宮、直時稲荷大明神、妙見大菩薩といった神社仏閣、東山公園もあります。
東山は区域は狭いが文化的施設の多い地区となっています。
地名の由来
元は岡山城下東部の操山山麓一帯の通称
元々「東山」の地名は、岡山城下町の旭川東岸で操山東麓一帯の広域通称でした。
城下から見て東の方向にある山という意味です。
近世においては当地は東山とは名乗っておらず、上道郡門田村の一部。
岡山城下町の旭川東岸部のすぐ東外側に位置していました。
江戸時代初期に旭川東岸に侍屋敷が作られます。
当時その屋敷地も門田村域でした。
元々その地に住んでいた門田村の農家が侍屋敷造営に伴い、村内のすぐ東の山の手側に移住させられました。
それが現在の当地。
侍屋敷町は「門田屋敷(かどたやしき)」と通称されました。
現在も地名として残り、現 東山の西隣に位置しています。
明治になり、町村制施行を受け明治22年6月1日に門田村の一部は岡山市へ編入合併。
残りの門田村域は周辺と合併し三櫂村(みさおそん)を経て明治32年4月1日に岡山市へ編入合併。
昭和42年10月に町区改訂がなされ、当地が門田より分立。
元来は周囲の地域通称である「東山」の名を新町名とし、丁目区分も設定されます。
まとめ
現在も市街地の旭川東岸で操山東麓一帯の通称としても「東山」の呼称が使用されています。
その他、岡山市立東山中学校の学区を指すこともあります。
参考資料
- 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
- 『岡山県大百科事典』山陽新聞社
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
- 岡山大学付属図書館 『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版
- 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
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