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【とんど饅頭】福山の代表銘菓。福山城と同じくらい古い歴史あり!備後福山藩の御用菓子

とんど饅頭

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福山市。広島県最東部の市であり県内2番目の人口規模、中国地方でも4番目の規模の街だ。

江戸時代に備後国福山藩の城下町だったこの街には、それとほぼ同じ歴史を持つ饅頭がある。

それが『とんど饅頭』だ。

OMIYA!』などのメディアで郷土文化ライター、銘菓・土産菓子ライターとして活動する筆者アサノが、備後そして福山を代表する伝統菓子・銘菓のとんど饅頭を紹介しよう。

とんど饅頭とは?

とんど饅頭

とんど饅頭は福山市の和菓子店『虎屋(とらや)』が製造販売している饅頭。

虎屋は江戸時代の元和6年(1620年)に福山城下の北東の吉津町(現在の福山市吉津町)で高田宗樹が創業した古い菓子屋だ。

現在まで16代にわたり続いている。

なお今の本店は郊外の曙町にある。

 

参考リンク:
和洋菓子司 虎屋本舗

 

とんど饅頭

福山市で古い歴史を持つ伝統銘菓とんど饅頭。

まさに福山市の代表する菓子であり、土産物といえる。

しかし残念ながら福山市民はいまいちこのとんど饅頭について知らず、中には存在すら知らない者もいる有様だ。

とんど饅頭の歴史

とんど饅頭

創業から2年後の元和8年(1622年)の正月に福山城築城を祝う茶会に菓子を献上。

これが当時の福山藩主・水野勝成がとても気に入り賞賛。これが現在とんど饅頭と呼ばれている菓子だ。

ちょうど「左義長(とんど)」の行事がおこなわれていた時期だったので、これに因んで水野勝成自身が「とんど饅頭」と命名した。

とんど饅頭

それ以来、福山藩の御用菓子司となり、江戸時代を通じて藩に献上を続けた。

そして、とんど饅頭は福山城下の銘菓として名を馳せるようになり、現在まで福山の銘菓として親しまれることとなったのだ。

とんど饅頭の特徴

とんど饅頭

一つずつ紙で包装されている。

紙をはぐると出てくる饅頭はまんまるとしている。光で照らされると美しい。

割ると中には白あんがいっぱい詰まっている。

とんど饅頭

食べてみると、あんは少しドライな感じでありながらもシットリ感もある。甘さもほどよい。

いわゆる典型的な白あんの饅頭。

だからこそインパクトが少なく福山市民ですら知らない者がいるのかもしれない

しかし長きにわたり続いて作られ続けているのは、この安心できる味を安定感が地元の人から信頼されているからかもしれない。

虎屋には他にも「虎焼」という菓子も

虎屋は他にも『虎焼(とらやき)』とう菓子も有名だ。

これはいわゆるどら焼き。

見た目にちがいがあり、生地に虎模様のような焦げ目がついているのが特徴。

名称もこれが由来。

実はこの虎焼も歴史が古く、江戸時代の寛延3年(1750年)に8代当主・高田助四朗が考案したのだ。

もともと虎屋は『高田屋』という屋号であった。

また菓子専業でもなかった。

8代助四朗は、初代の宗樹が寅年生まれであることに着目。

虎は当時は縁起がよい動物とされていたので、屋号を現在の『虎屋』に変更。菓子製造販売を専業としたのだ。

そして虎にちなんだ菓子として虎柄の焼き目をつけたどら焼き『虎焼』を開発し、好評を得た。

虎焼はとんど饅頭をならぶ福山銘菓となって現在に至っているのだ。

最近の虎屋は「本物そっくりスイーツ」でも有名に

現在も続く老舗となった虎屋だが、伝統菓子を作るだけではない。

積極的に新商品を開発している。

特に話題となったのが、いろんな料理に見た目をそっくりに似せたスイーツ「本物そっくりスイーツ」。

遊び心の商品開発は虎焼のころから現在まで受け継がれているのだろう。

福山土産にはとんど饅頭をぜひ!

とんど饅頭

地元にこんな歴史のあ銘菓があるのに福山市民でも愛着を持つ人が少ない現状はとても悲しい。

おみやげに広島県だからという理由だけでもみじ饅頭をすすめる姿を見るのは福山市民としてのプライドはないのかと思う。

あくまでもみじ饅頭は宮島の銘菓だ。

福山は同じ県といっても文化も歴史も経済も異なる地域。もっと「福山市」というものを意識すべきだろう。

とんど饅頭は江戸時代前期から続く福山の代表銘菓。

そのはじまりは福山築城直後からだから、福山の歴史とほぼ同じ歴史を持っているのだ。

福山土産はとんど饅頭で決まりだ!

福山市にお越しの際はぜひお土産にはとんど饅頭を!