尾道 〜 地名由来は尾道水道の形を表現!?

尾道水道(千光寺公園より)

尾道は、広島県の東南部の位置する尾道市の中心部の地名です。もちろん、同市の市名の由来となっているところ。

尾道市は平成の大合併により、周囲の自治体を編入合併。芸予諸島から海浜部、北部の山間地帯までのバラエティに富む市域になりました。

「尾道」はその尾道市のほぼ中央部の海浜部にあたります。

古くは「尾路」「尾途」などの表記も見えました。

地名の由来

尾道の地名の由来は諸説あります。

「山の尾の道」説

現在千光寺のある千光寺山西国寺のある摩尼山浄土寺のある瑠璃山などの山と海が近く平地が少ないため、海岸沿いに山の尾根伝いに一筋の道があったことに由来するとする説。

私の見解としては、この説は由来としては疑問があります。

山の尾の道説ですが、「山の尾」とは尾根のことです。

尾道の市街にそびえる山は結構急峻で、いくら平地が少なかろうとも尾根沿いに道を作るのは現実的ではありません。

実際には海と山麓の間に道があったのですが、それを「山の尾の道」と形容するのは不自然です。

「澪の道」説

備後ブロガー会 2017年4月30日 @尾道シェア

尾道が重要な港であったことから、航路に由来する説。

この説は司馬遼太郎が唱えた説だそうで、比較的新しい説です。

後述しますが、私は尾道は海に関係した地名と考えています。ですので、この説に近い考えではありますが、「澪の道」というのは捻りすぎではないかと思います。

ですので、この説も私も懐疑的です。

当サイトの説「尾道浦=尾道水道」

尾道水道(千光寺公園より)

当サイトの見解として、尾道の地名由来は「尾道水道」に由来すると考えます。

尾道という名が初めて歴史上に登場するのは平安時代後期
永保元年(1081年)の「西国寺文書」で、「尾道浦」とあります。

この「浦」は湾曲して陸地に入り込んだような海域を意味し、その沿岸も指す場合もあります(『大辞泉』参照)。
このことから、尾道の初見は海、または海とその海浜であることが分かります。

そうなると尾道は海に関連した由来であると考える方が自然です。

千光寺公園など少し高いところから尾道水道が一望できます。

アイキャッチ画像や上記の画像を参照してください。千光寺公園からの写真です。

本州側と向島側の両陸地に挟まれて東西に長い海域がよく分かります。

現在よりも平地部が少なくその分が海域であった(おおむね現在の山陽本線以南)こと。現在のようにまっすぐな海ではなく現在の平地部が海であったために曲がったような形だったこと等を差し引いても、細長いと感じる形状であったと推定されます。

この細長い海域を尾のような形をした道のような浦と形容し「尾道浦」と呼んだと推定されます。そして尾道浦にある港も尾道浦と呼ばれるようになり、その港町が周辺に拡大。やがて尾道村となったと考えられます。

尾道水道(千光寺公園より)

なお、当サイトでは古い地名は地形に由来しているところが多い、また漢字は当て字が多い、との見解を述べました。

今回の尾道は、前述の通り平安時代後期が初見です。

このころは漢字が定着しており、新たな地名が出来たときでも当て字ではなく意味通りの漢字を使用していると考えられます。

ですので尾道は漢字通りの意味と考えて支障はありません。

終わりに

実は尾道は町または大字の名称としては現存していません
江戸時代に尾道は町割りが整備されて久保町(くぼまち)、十四日町(とよひまち)、土堂町(つちどうまち)に分かれました。
これらの総称として尾道が使われました。

その後明治になり上記の3町が尾道町という自治体を構成しました。
これにより尾道の名前が正式地名として復活
しかし町・大字の名称としては江戸時代の3町の名が使用されました。

明治以降は自治体名として尾道町→尾道市となり残っています

そのため、町・大字としての尾道は存在していないのです。

参考資料

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。