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内山下(うちさんげ)は岡山市北区の町丁です。
岡山の中心市街地の中心部にあたり、岡山県庁の所在地としてしれている地域です。
江戸時代は城下町の一角でした。
内山下という地名は岡山城と関わりの深い地名なのです。
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内山下はこんなところ
岡山城下の中で内堀以内の郭内地。いわゆる曲輪(くるわ)とよばれた地域。
江戸時代に岡山藩ができると藩の重臣・重臣諸士の屋敷地が建つ武家町となります。
岡山城天守のある丘陵「岡山」の隣にあった丘陵「石山(いしやま)」は内山下内の北端にありました。当時は石山御蔵、金剛山常住寺円務院、西の丸、上水手門、渋蔵門などが所在。
また寛文5年(1665年)まで石山明神がありました。 一時期その跡に藩校が所在。
昭和40年の町区改訂で、石山および岡山城天守の地である岡山をふくむ内山下北部は「丸の内」として分離しました。
なお地域区分・町内会区分としての「内山下」は丸の内と内山下が含まれています。
現在の内山下には岡山県庁が立地しています。
北部を県庁通り、中部をあくら通りが東西に通ります。
西部を南北に城下筋。 東部は旭川とそれに沿って水之手筋が通過しています。
地名の由来
山下の内堀より内部のこと
山下(さんげ)とは、城郭の天守・本丸の周辺のこと。つまり城郭および城下町の主要部分を指します。
岡山城の山下は、本丸から二の丸までの一帯でした。
その中で本丸に近い部分、つまり内側部分を内山下と呼びました。内堀の内側にあたります。
それに対して山下の外側(外堀の外側で、寺町や町人町などがあった)寄りの部分を、山下の外側と内山下の中間という意味で中山下(なかさんげ)と呼びました。
参考資料
- 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
- 『岡山県大百科事典』山陽新聞社
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
- 岡山大学付属図書館 『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版
- 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
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