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丸の内(岡山市北区) 〜「岡山」発祥の地。 岡山城本丸に由来!

岡山城

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丸の内(まるのうち)は岡山市北区にある町丁です。一丁目と二丁目からなります。

岡山城天守閣や岡山市民会館、岡山県立図書館、NHK岡山支局、中国銀行本店、林原美術館などが所在します。
また県庁もすぐ南に隣接する場所にあります。

岡山市の中枢ともいえる地域ですが、岡山城築城以来の中枢地だったのです。

丸の内はこんなところ

丸の内は、元は内山下の一部でした。
町区改訂により県庁通りより北側を「丸の内」として内山下より分割しました。

丸の内には岡山城本丸天守閣が所在。地区内ののほぼ東半分を占めます。

東部、つまり岡山城の東側は旭川が迂回するように丸く流れています。
南は県庁通りを挟んで内山下、西は城下筋を挟んで表町、北は石関町に隣接。
岡山城は本丸を「岡山」と呼ばれる低山に設けたことからその中が付けられました。

そして岡山城の城下町を中心とする市なので岡山市。
また岡山市に県庁を置くので岡山県なのです。

つまり丸の内は「岡山」という地名の発祥地なのです。

地名の由来

岡山城

岡山城の本丸の地

「丸の内」とは、お城の本丸の内側という意味です。本丸はお城の中枢部分のこと。

丸の内はその名の通りかつて岡山城の本丸の地であったことに由来する地名なのです。

丸の内は城郭用語が元であるため、城下町を起源とする全国各地にある地名です。
その代表格は、江戸城本丸に由来する東京都千代田区の丸の内です。

歴史

岡山城

古代、旭川は現在の玉柏のあたりから複数に分流。巨大なデルタ地帯を形成していました。
その中に「岡山」「石山」「天神山 (天満山)」の3つの低山が連なった大きなデルタがありました。
前述の通り「岡山」が現在の丸の内の地です。

当地は『和名類聚抄』に載る備前国御野郡(みののこおり)出石郷(いづしごう)の範囲内にあったとみられます。

中世になると旭川デルタに発達した有力荘園・鹿田庄(しかだしょう)の影響下に。

南北朝時代になると、上神高直が石山に石山城を築城。

戦国時代、金光氏が石山城へ入城。 続いて天正元年(1573年)に沼(現 岡山市東区)から宇喜多直家が石山城へ移ります。 宇喜多氏は石山城を改築し、さらに城下町も整備。

息子の宇喜多秀家が城主になると、石山の東側にある岡山に天守を築造。 石山城を取り入れる形で岡山城を築城します。

その後、城の防衛のために旭川を岡山城を大きく回り込むように流路を変更。
内堀・中堀と呼ばれる堀を張り巡らせるなどしました。

江戸時代になり宇喜多氏に代わり小早川秀秋が岡山城主になり、幕藩体制で岡山藩が生まれます。
小早川氏死去後、池田氏が藩主になります。 その後、池田宗家に代わり幕末まで池田氏が岡山藩主として治めました。

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  •  巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
  • 岡山大学付属図書館 『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版