十日市(岡山市北区) 〜 地名由来は中世に定期市が開かれていた名残。

十日市(とおかいち)は岡山市北区の町丁の総称です。十日市東町(とおかいち ひがしまち)・十日市中町(とおかいち なかまち)・十日市西町(とおかいち にしまち)の3町からなります。

江戸時代には岡山藩領の農村 御野郡(みのぐん、みののこおり)十日市村でした。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

十日市はこんなところ

十日市は岡山市街の南方、郊外と市街の中間的な位置にあります。
旭川の西岸で、御舟入町から西川を越えた西側になります。
つまり十日市の東の境界は西川ということ。

地区北部にある十日市ロータリーで中心市街地から南下してきた国道30号線が南西方向へ折れ、同時にそこから南東方向に岡山県道40号線が分かれています。

まさに道路交通の要衝になったことで、元々農村だった十日市は一気に郊外型の市街に変貌しました。

古代は陸地ではなく、旭川河口のデルタにあった御野郡(みののこおり)出石郷(いづしごう)の南沖の海でした。

その後の時代に沖に向かって徐々に開墾が進み陸地化します。
中世になると有力荘園・鹿田庄(しかだしょう)の一部に。

まだこの頃は独立村ではなく、七日市と同じく御野郡二日市村(現 北区二日市町・旭町・旭本町・岡南町など)の一部だったとみられます。

十日市東町には古社・十日市天満宮が鎮座しています。

かつて菅原道真が大宰府へ左遷され西へ向かって航海していたとき、当時海辺だったこの辺りに船を着けて休息。

そのときに地元の海士の妻が難産ということを聞いて、道真が安産の歌を詠みます。

すると無事に子供が生まれ、海士たちが道真の腰掛けた岩の上に祠を置いて祀ったのがこの神社の始まりと伝えられています。

この逸話から安産と子育ての神様としてあがめられ、別名・子安天満宮とも呼ばれます。

他にも川口の天神浮島の天神などの別名もあります。

地名の由来

春日神社周辺で毎月十日に市が開かれていた事が地名由来

十日市の名前の由来は、二日市や七日市と同じく中世に毎月十日に定期市が開かれていたことい由来しています。

前述の通り中世において十日市の地は荘園・鹿田庄の一部でした。

現 七日市にある春日神社は古くから鎮座する古社。
康永元年(1342年)の『備前一宮社法』という書物に「二日市春日ノまつり」と記載があります。

この春日は春日神社のこと。 二日市は二日市村(現 北区二日市町・旭町・旭本町・岡南町など)のことです。
当時の十日市は七日市と同じく二日市村の一部でした。

江戸時代になると岡山藩領になります。

江戸時代前期に岡山藩が作らせた『寛永備前国絵図』には七日市村ともに十日市村の村名が記載されています。
なので十日市村は七日市と同様に室町中期以降から江戸時代以前に二日市村から分立したものと考えられます。

明治以降は古鹿田村(こかだそん)、福浜村(ふくはまそん)を経て昭和6年に岡山市に編入。

その後町区改訂が実施されて、十日市が十日市東・西・中町に分かれました。

まとめ

十日市村や七日市村が二日市村から分立したのは春日神社周辺でおこなわれた鹿田庄の三斎市が発展したためと推測されます。

なお三歳市とは中世において毎月、月内の決まった3日に定期的に市場が開かれていた風習のことです。

ということは鹿田庄の春日神社周辺では毎月2・7・10日の3日、市が開かれていたのではないでしょうか。

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  •  巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
  • 岡山大学付属図書館 『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版
  • 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
古い地名の由来は諸説あります。
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