岩田町(岡山市北区) 〜 岡山城下の西の出入口。 山陽道沿いに発達した町

岩田町(いわたちょう)は岡山市北区の町丁です。

江戸時代は岡山城下の一部。
現在の町内の西部が万町(よろずちょう)、東部は岩田町と分かれていました。

町人町、一部は武家屋敷町侍屋敷町でした。
町内を近世山陽道(西国街道)が通過。門が設けられ城下町の西側の出入口となりました。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

岩田町はこんなところ

岩田町はJR岡山駅の東北に位置します。
すぐ西側を斜めにJRの路線が通っています。その西には奉還町

東側は南北に西川が流れ、その東は富田町。

北側には東西に国道53号が通り、その北は南方(みなみがた)となります。

また南隣は駅前町と隣接しています。

前述の通り、江戸時代は岡山城下の一部で、現町域の西部が万町東部が岩田町に分かれていました。
またさらに細かくいえば現町域の北寄りは南方村の一部でした。

エリアの中央より少し南寄りを東西に近世山陽道(西国街道)が通過しています。
山陽道沿いに両側町として町家が並ぶ町人町として繁栄。

西川には「二ノ橋」という橋が架かっていました。

万町は現在西半分の大部分が鉄道用地になってしまいました。また線路の西の現 奉還町一丁目の範囲内に万町の一部が組み込まれています。

旧 岩田・万の両町の範囲は、近世の初めまでは農地

しかし延宝4年(1676年)に野殿町(現 平和町の一部)の西にあった銀子町・六郎右衛門町・新四郎町(五郎町とも)の3町を御用屋敷を建てるためにこの地に移転
山陽道を中心に町割を整備します。

万町には城下への出入口として惣門を設置。「万町口」とも呼ばれます。また番所もありました。

地名の由来

岩田町は人名に由来か? 岩田村からの移住者 に由来か?

前述の通り江戸時代には岩田町と万町に分かれていました。

岩田町の由来は定かではありません。

一説には町内の豪商で岩田姓のものがいたためとも。

また他には岩田村からの移住者に由来する説もあります。
この場合、岩田村とは備前国赤坂郡(あかさかぐん、あかさかのこおり)の岩田村(現 赤磐市 旧山陽町)であると推定できます。

万町は万屋に由来か?

万町も同様に地名の由来ははっきりとはしていません。

延宝4年に農地から城下に整備された直後、空き家が目立ちました。
そこで竹細工などの日用品の販売を岡山藩に申し入れ、許可されます。

万町は日用品を売る万屋があったことから町名になったのではないかと思われます。

なお寛政5年(1793年)に城下東の玄関・森下町とともに「備前国内の客で、一泊限り」の条件付で旅籠の営業許可が藩より出されています。

まとめ

岩田町・万町ともはっきりとした由来が分からず、推定でしか判断できません。

さらなる資料があればチェックしてみたいと思います!

なお昭和39年の町区改訂で万町と岩田町、さらに南方の南端の一部を合わせて新たな岩田町が設置されました。
翌年に旧万町の西端となる鉄道より西側部分を奉還町一丁目に繰り入れています。

 

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  •  巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
  • 岡山大学付属図書館 『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版
  • 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。