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『きびだんご』といば、日本中の誰もが知る岡山を代表する銘菓だ。
岡山土産の定番中の定番。
そして、岡山を象徴する名刺代わりともいえる存在といってもいいだろう。
岡山観光は桃太郎を中心としたアピールが多く、きびだんごもそれに関連するものだ。
しかし実際のきびだんごの歴史やルーツを知るものは少ない。
そこで、『OMIYA!』などのメディアで郷土文化ライター、銘菓・土産菓子ライターとして活動する筆者アサノが、きびだんごの由来や歴史などを紹介しよう。
もくじ
きびだんごとはどんなもの?桃太郎との直接の関連はない
昔話の桃太郎に出てくる黍団子との関連はない?
きびだんごは、現在では平仮名で書かれることが多いのだが、漢字で書くと『吉備団子』だ。
つまり「吉備の国の団子」という意味。
黍でつくられた団子という意味の「黍団子」ではないのだ。
つまり、昔話の桃太郎の黍団子と、現在岡山銘菓の吉備団子は同じものではない。
そもそも、岡山県が桃太郎の発祥地というの話も、確証があるものではないのだ。
なお、日本各地にある桃太郎発祥地も同様で確証はなく、桃太郎に発祥地やモデルがあるということ自体があやしい。
まず、岡山県が桃太郎の発祥地という話の根拠は、吉備津神社の祭神・吉備津彦命(きびつひこのみこと)の鬼神・温羅(うら)退治の伝説がモデルになっているということにある。
もしも、吉備津彦・温羅伝説が桃太郎のモデルということを前提にするならば、吉備団子は、桃太郎に関連しているといえる。
それは、吉備団子のルーツに吉備津彦命が関わっているからだ。
つぎの章からは、きびだんごのルーツと歴史を紹介しよう。
きびだんごの起源・由来と歴史
吉備団子の起源は吉備津彦神社の黍団子
きびだんご(吉備団子)の起源は、吉備津神社にある。
吉備津神社は、現在の岡山市北区吉備津に鎮座し、「吉備中山(きびのなかやま)」という独立山の北西のふもとに鎮座している。
すぐ東に備中と備前の国境がある。
吉備津神社は備中の一宮(いちのみや)で、吉備の国の総鎮守という、吉備地方で最高峰ともいえる格式の高い神社だ。
祭神は吉備津彦命で、神社名も祭神に由来している。
この吉備津神社に、古くから神前に供えられていたのが黍団子だ。
これは、吉備津彦命あるいは吉備の国と、穀物の黍の語呂合わせ・洒落と思われる。
日本人は昔から語呂合わせが好きだ。
吉備津神社の黍団子も同様だろう。
なお黍団子、つまり黍でつくった団子自体は昔から昭和時代くらいまで、全国的に食べられていた菓子である。
ちなみに、吉備国の地名由来自体が黍の産地だからという説もあるが、根拠に乏しく、当てにならない。
安土桃山〜江戸時代初頭に黍団子が吉備津神社の名物に
吉備津神社の門前町は宮内(みやうち)という。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、宮内は山陽随一の繁華街・歓楽街として繁栄した。
その理由のひとつは、宮内の北部に主要街道の山陽道(西国街道)が通っている影響。
もうひとつの理由は、豊臣秀吉(羽柴秀吉)がおこなった備中高松城の水攻めだ。
備中高松城は、宮内の北西およそ3kmの場所にある。
秀吉が備中高松城の水攻めをおこなった際、秀吉方の武士たちが、地元住民の家を荒らしたり、暴行したりすることがあった。
そのため秀吉は、武士たちの休息の場所として、当時高松城からもっとも近いところにあった町である宮内を整備して、繁華街としたのだ。
その後、水攻めのあとも宮内は繁華街として栄えた。
やがて吉備津神社に参拝した人向けに、吉備津神社で供えられていた黍団子を門前の店で売られるようになり、旅人のあいだで吉備津神社名物・宮内名物となったのだ。
当時の黍団子は、あんこや汁とともに食すことが多かったといわれ、現在のきびだんごとは特徴が異なっている。
いつごろから、吉備津神社の黍団子が宮内名物になっていたのかは定かではないが、少なくとも江戸時代初頭には名物になっていた。
江戸時代初頭の慶安4年(1651年)に書かれた『昆山集』には、備中の信充という人物が吉備津神社をうたった「餅雪や 日本一のきびだんご」の句が記載されている。
また、おなじく江戸時代初頭の寛文5年(1665年)の『古今夷曲集』では、武将で歌人の細川幽斎が「神はきねがならはしなれば先づつきて団子にしたき きびつ宮かな」とうたっている。
江戸時代後期に岡山城下の菓子職人が吉備津神社の黍団子を改良して吉備団子に
江戸時代後期になると、備前 岡山城下の廣瀬屋(ひろせや)という店の和菓子職人・武田 半蔵(たけだ はんぞう)が、吉備津神社の黍団子を改良する。
これが、現在のきびだんごの原型となる。
その後、岡山藩の家老で茶人の伊木 三猿斎(いぎ さんえんさい)(伊木 忠澄(いぎ ただすみ))が、半蔵に茶会に向く和菓子にするように提案。
さらに改良がくわえられて現在に近い形となり、「吉備団子」と名付けられた。
吉備団子の名は、吉備津神社の吉備団子にルーツがあることと、吉備国随一の団子であることが由来とされている。
この吉備団子は、当時の岡山藩主が気に入り、お国名物として売り出すことを認可。
備前国印である「釘貫(くぎぬき)」を商標として使用するこ とを許可した。
こうして岡山藩のお墨付きを得て、備前を代表する銘菓として名乗ることができるようになったのだ。
その後、廣瀬屋は廣栄堂(広栄堂、こうえいどう)に名前を変える。
なお廣栄堂は、現在もきびだんごを製造する代表的なメーカーである廣栄堂(廣栄堂本店)と広栄堂武田の起源である。
ちなみに、広栄堂武田では武田半蔵が初代、朝次郎が二代としている。
いっぽう廣栄堂本店では、半蔵が廣栄堂の前身・廣瀬屋として、廣栄堂に変わってから半蔵の息子・武田 朝次郎が廣栄堂の初代となったとしている。
明治時代の鉄道開通で岡山銘菓として広く知られるように
きびだんごが、岡山銘菓として広く知られるようになったのは、明治時代になってからだ。
明治24年(1891年)、山陽鉄道が開通し、岡山駅が開業した。
すると駅の立ち売りできびだんごが売られるようになり、好評となる。
さらに明治25年(1892年)には、明治天皇にきびだんごが献上された。
明治天皇はたいそう気に入り、「日の本にふたつとあらぬ吉備団子 むべ味わいに名を得しや是」と読んだ。
これがきっかけで、きびだんごは広い地域で有名になる。
そして、もうひとつの転機が明治28年(1895年)の日清戦争の終結。
現 広島市南部の宇品港に船艦が帰ったのだが、そのときに合わせて、廣栄堂の朝次郎は宇品港から広島駅前を、鬼の格好をしてビラまき・宣伝して歩いた。
これは「吉備団子」と桃太郎の「黍団子」をかけたものだ。
日清戦争に勝利して帰った兵士を桃太郎に見立て、岡山銘菓のきびだんごを桃太郎のきびだんごにたとえ、土産物としてすすめた。
なお、岡山と桃太郎の話をからめた観光PRは、これが最初といわれている。
これが功を奏し、きびだんごは岡山銘菓としてさらに有名になった。
そして、明治30年(1897年)ごろには、岡山の街中には12店ほどのきびだんご製造店が存在したという。
昭和初期に吉備津彦・温羅伝説と桃太郎を結びつけるように
昭和初期に、地元・岡山で桃太郎の話と吉備津神社の伝承を結びつける話が生まれた。
さらに戦後、観光PRの一環として、この吉備津神社の吉備津彦・温羅伝説にもとづいて、桃太郎のふるさととして売り出すようになった。
これが大当たりし、岡山=桃太郎が定着。
きびだんごも、全国的に岡山銘菓・岡山土産の定番として、完全に定着した。
そのため現在では、吉備団子と桃太郎の黍団子をかけて売るようになったので、吉備団子は平仮名書きで「きびだんご」と書くことが多いのだ
吉備津神社の黍団子と「吉備団子」のちがい
もとの黍団子は、黍ともち米をメイン材料にした。
いっぽう吉備団子は、白玉粉・餅粉・水飴などでつくる求肥の技術を応用したもの。
ほかの類似の菓子との差別化のため、黍を風味付けとして使用している。
そんとため黍はメイン材料ではない。
なお、現在ではきびだんごに黍を使用しない業者もいる。
現在の主要きびだんご製造業者
以下は、きびだんご主要7大メーカー。
- 広栄堂武田 (こうえいどう たけだ):安政3年(1856年)創業
- 廣栄堂(廣栄堂本店) (こうえいどう ほんてん):安政3年(1856年)創業
- 山脇山月堂 (やまわき さんげつどう):明治14年(1891年)創業
- 下山松寿軒 (しもやま しょうじゅけん):明治20年(1887年)創業
- 山方永寿堂 (やまがた えいじゅどう):昭和21年(1946年)創業
- 中山昇陽堂 (なかやま しょうようどう):昭和25年(1950年)創業
- 金萬堂本舗 (きんまんどう ほんぽ) :昭和40年代に尾道市の金萬堂本舗より分離独立
上記以外にも多数あり。
くわしくは『岡山伝統銘菓【きびだんご】パーフェクトガイド!メーカー徹底比較&一覧!おすすめはこれ!』のページにまとめているので、参照して欲しい。
岡山伝統銘菓【きびだんご】パーフェクトガイド!メーカー徹底比較&一覧!おすすめはこれ!
まとめ
- きびだんご(吉備団子)と桃太郎の黍団子の直接の関係はない
- 現在のきびだんご(吉備団子)のルーツは、吉備津神社の黍団子
- もし豊臣 秀吉(羽柴 秀吉)が備中高松城の水攻めをしなかったら、吉備津神社門前の宮内は繁華街とならず、黍団子が名物になることもなく、のちの吉備団子も生まれなかった
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参考
- 『岡山の味風土記』
- 『岡山の和菓子』
- 『岡山県大百科事典』
- 広栄堂武田 きびだんご 同梱パ ンフレット
- 廣栄堂 きびだんご 同梱パンフレット