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出雲国の地名由来 〜 実は雲は関係ない?

出雲・稲佐の浜

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出雲国(いずものくに)は、現在の島根県東部にあたる旧国(令制国)です。

出雲大社が鎮座することで有名です。他にも出雲の国譲りの話スサノオのヤマタノオロチ退治の話など、神話の地としても知られています。

地名の由来としては「出雲」という字面から連想される説話的なものが一般的ですが、果たして真の由来はどうなのでしょうか。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

一般的な地名由来と諸説

出雲国の地名由来は有名なもの、そうでないもの含め多くあります。

もっとも知られているのは、『出雲国風土記』に記載の「八雲立つ国」説。
たくさんの雲がわき立つ様子から命名されたとする説です。
江戸時代の歴史学者・本居宣長もこの説を支持しています。

風土記というのは、和銅6年 (713年)に国が命じて、国内各令制国ごとに風土などをまとめた地誌のようなものです。ただし、現存するのは数ヶ国分のみで、完全な形で残るのは出雲国のもののみです。

他にも、明治〜大正期の地理歴史学者・吉田東伍(よしだ とうご)の雲を祀っているという意味の「厳雲」説。水野祐の海(=藻)を祀っている(=出雲大社)という意味の「厳藻」説、さらには山岡浚明「出づも」説、鏡味完二「霊主も」説、小川琢治の入江を意味するアイヌ語「エトモ」転訛説など、多数の説があります。

当サイトでの見解

「八雲立つ」が有名だけども・・・

出雲国風土記の『八雲立つ国』説は、国が正式にまとめさせたものですから、一見正しく思えます。また、字面通りに意味が解釈できますので納得できそうです。

しかし、出雲の地名は風土記編纂より相当昔からあったと推測され、編纂時にはすでに地名由来を知る人はほぼいなかったのではないかと思われます。

よって、風土記編纂時の人々が字面から推測した説話的なものであると思われます。

出雲郡出雲郷に注目せよ

まず最初に注目すべきは、出雲国に出雲郡があり、さらに出雲郡の中に出雲郷がある点です。

当サイトでは「広域を表す古地名は、範囲内の一地域の地名に由来」しているというパターンを重要視しています。

そのため、出雲国の地名は出雲郷に由来していると考えるのが妥当です。

加えて、全てではないですが、多くの郷名などの古い小地名は、その地域の地形に由来していると考えています。

ですので、出雲国→出雲郷も地形に由来していると当サイトでは考えます。

出雲郷=河口の三角州

では、出雲郷の由来となった地形とは何でしょうか。

「いづも」=「いづる」+「つもる」、つまり「出ずる」+「積もる」で、「いづつも」→「いづも」となったと当サイトでは解釈します。

この意味は、「川の河口部の三角州」。

川=現在の斐伊川より山中から流れ出てきた土砂が、長年河口付近で積もっていって三角州(デルタ)が構成され、そこに出来た集落が出雲郷と推測します。

出雲郷は、現在の出雲市旧斐川町西部、斐伊川東岸にあたる出西・富村・求院・神氷・併川あたりといわれており、まさに推測通りの地です。
かつては、出雲市平野部は斐伊川が何本にも分岐して大きな複数の三角州を構成していました。

ちなみにヤマタノオロチは、分岐した川を見立てたものといわれます。

なお、出雲郷の地名由来として、他にも「いつく(厳く)」+「つま(妻、端)」で、「崖地に面する地」を由来とする考え方もあるようです。

まとめ

当サイトでは、出雲国の地名由来は下記の通りと推測。

  • 出雲郡出雲郷が地名発祥地
  • 「出ず」+「積も」を意味する
  • 斐伊川河口付近にできた三角州(デルタ)が由来
  • 現在の出雲市の旧斐川町西部あたりが出雲郷推定地
古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

参考資料

  • 楠原佑介ほか『古代地名語源辞典』東京堂出版(1981年)
  •  『日本歴史地名体系三四巻 島根県の地名』平凡社(1995年)
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館(1966年)