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『多祁伊奈太岐佐耶布都神社 (たけのいなたきさやふつ じんじゃ、多祁伊奈太伎佐耶布都神社とも)』は、広島県最南東に位置する福山市にある古い神社だ。
別名は『岩穴宮 (いわなぐう)』『岩屋権現 (いわや ごんげん)』『原谷権現 (はらたに ごんげん)』など。
長いので、案内板などは別名で書かれていたりする。
福山市の最北にあたる山野町(やまのちょう)の、さらに奥の山中にある。
巨大な岩壁を祭り、洞穴の中に社殿があるという、原始的な信仰の名残を感じさせる神社だ。
まさに秘境といった雰囲気の神社である。
2019年1月時点での情報です。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社の概要
神社名 | 多祁伊奈太岐佐耶布都神社 (たけのいなたきさやふつ じんじゃ) |
---|---|
別名 | 岩穴宮 (いわなぐう)、岩屋権現 (いわや ごんげん)、原谷権現 (はらたに ごんげん) |
祭神 | 下道国造兄彦命 (シモツミチノクニツクリ アニヒコノミコト) 大穴牟遅命 (オオナムチノミコト)ほか 赤浜宮: 伊奈太宿祢命 (イナタ スクネノミコト) |
利益 | 不明 |
創建 | 不詳 |
旧社格 | |
鎮座地 | 広島県福山市山野町山野262 (字 上原谷) |
連絡先 | |
例祭 | 7月19日、11月3日 |
駐車場 | 有り(5台程度) |
HP | 岩屋権現(いわやごんげん) – 福山市ホームページ |
SNS | |
備考 | 社殿のある「上原谷 石灰岩 巨大礫(れき)」は広島県の天然記念物。 また神社周辺の一帯は「山野峡自然公園」となっている。 |
まず気になるのは「多祁伊奈太伎佐耶布都神社」という長く読みにくい神社名。
名前の漢字は当て字だ。
意味の区切りは「たけ の・ いなた・きさや・ふつ 」。
「たけ」は「勇ましい」「すばらしい」などの意味。
「いなた」は固有名詞で、人名(姓)または神様の名。
「きさや」は木の鞘。
「ふつ」はものを切るときの音を表現するものといわれ、転じて刀剣のこと。
「きさやふつ」で木の鞘に納められている刀剣を意味しているとされる。
つまり「多祁伊奈太伎佐耶布都」とは「勇ましいイナタが持っていた木の鞘に納められた刀剣」だ。
なお、「岩穴宮」や「岩屋権現」の名は岩壁の洞穴にあることに由来している。
また、「原谷権現」は鎮座地の小字「原谷」から。
原始的な自然崇拝の名残を今に残している古い神社で、創建は不詳。
平安時代の歴史書『日本三代実録(にほん さんだい じつろく)』によれば、少なくとも雄略天皇(ゆうりゃく てんのう)の時代(5世紀後半)にはすでに存在していた。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社は「延喜式内社 (えんぎ しきないしゃ)」あるいは「式内社」と呼ばれる格式ある神社だ。
式内社とは平安時代前期に、当時の有力な神社を記載した書物『延喜式 神名帳 (えんぎしき じんみょうちょう)』に載っていた神社のこと。
なお、式内社は平安時代からかなり時代が経っており、神社が当時よりも衰退してしまったために、詳細がわからなくなった神社もある。
その場合、当時の神社だと推測される「論社」という神社に複数の説があることも。
そのため同じ式内社の神社だと名乗る神社が複数存在している場合もある。
式内社・多祁伊奈太伎佐耶布都神社だと名乗る神社も、福山市内に複数存在している。
なお、もともと多祁伊奈太伎佐耶布都神社は、鎮座地のさらに奥にある馬乗山(うまのりやま)の山上にあったという。
現在、馬乗山には「馬乗観音」が祭られている。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社からは、直線距離で800mほどの場所だ。
鎮座地と行き方
福山市のもっとも北に位置する山野町。
山野町の山奥に多祁伊奈太伎佐耶布都神社は鎮座している。
山野町を、岡山県西部を流れる高梁川(たかはしがわ)の支流・小田川(おだがわ)沿いに広島県道21号線で北上していき、小田川の支流である矢川川の合流地点から、広島県道104号線で矢川川沿いに上流方面へと進む。
104号線は県道とはいっても離合困難箇所が続く狭い道。
対向車はめったに来ないが、もし来たときのために車の交わせる場所を確認しながら進むのがよいだろう。
また、104号線沿い矢川川の一部は「山野峡(やまのきょう)」という渓谷になっている。
さらに、多祁伊奈太伎佐耶布都神社の周辺エリアは「山野峡自然公園」に指定されていて、104号線沿いには「竜頭の滝(りゅうずのたき)」やキャンプ場もあるので、目印になる。
県道21号から104号に入って2.5kmほど進むと、進行方向左手に多祁伊奈太伎佐耶布都神社の参道口の鳥居と駐車場が現れる。
案内板は別名の「岩屋権現」の名前で記されていた。
駐車場は5台程度。
参道口の鳥居の右側なので、鳥居を確認したらすぐに駐車場もわかる。
山奥のため参拝者も少ないので、基本的に満車になることは少ないだろう。
参道のようす
参道口には鳥居。
大きさは一般的なもの。
鳥居の社名は通称の「岩穴宮」と彫られていた。
鳥居のすぐ後ろには注連柱がある。
鳥居をくぐっても参道に入ってもよいし、駐車場側からまわって参道に入ることもできる。
案内板が何ヶ所かあるのでわかりやすい。
参道の最初50メートルくらいは周辺の生活道路と兼用となっている。
やがて生活道路と分かれて参道は山へ登っていく。
最初はセメントで舗装されていた参道も、次第に山道のように。
300mくらい山道のような参道を登ると、石段が出現。
いよいよ境内に入る。
境内のようす
石段の途中には注連柱がある。
注連柱をくぐって石段を登ると、目の前に巨大な岩盤が目に飛び込んでくる。
ふもとに社殿がみえる。
ここが境内だ。
落石注意の看板に少し恐怖を感じながら境内に足を踏み入れる。
境内にはごく簡素な手水鉢が。
石段を登るときに少し見えていた建物。
これは拝殿でも本殿でもなく、神楽殿だった。
写真では収めきれなかったが、石段を登っていたときに目の前に現れた巨大な岩壁のふもとには大きな空洞が空いている。
その洞穴の中に本殿が祭られているのだ。
「岩穴宮」や」「岩屋権現」という別名は洞穴に鎮座しているところから来ている。
なお、この穴は開口部はそこそこ広いが奥行きはないので、入るとすぐに行き止まりになっている。
本殿は出口側に本殿があり、その奥側の隣に少し小さなサイズの社がある。
出口側、社殿に向かって右側にあるのが本殿だ。
洞穴の奥側、社殿に向かって左側にある小さな方は「赤浜宮(あかはまぐう)」で、本殿とは別の神様を祭る。
祭っている神様については後述。
本殿と赤浜宮の向かって左手前側に小さな祠(境内社)もある。
洞穴の奥には石筍(せきじゅん)もあった。
石筍は、炭酸カルシウムの溶けた水滴が何度も落下して、水滴内の炭酸カルシウムが固まってきてタケノコのような形になったものだ。
石筍は注連縄が施されて祭られている。
さらに泉もあった。
洞穴奥の岩壁から水がしたたり落ちている。
洞穴奥には小さな祠。
石筍を祭ったものか。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社の本殿を祭る洞穴がある巨大な岩壁は、石灰岩だ。
洞穴内に石筍があったのはそのため。
そして、この巨大な石灰岩の岩壁は「上原谷石灰岩巨大礫(かみはらたに せっかいがん きょだいれき)」と呼ばれ、広島県の天然記念物に指定されている。
福山市の公式サイトによると、上原谷石灰岩巨大礫は高さ約30m、幅約33m、奥行は推定35m以上という。
中生代白亜紀中期に、上原谷石灰岩巨大礫のところからさらに山奥の石灰岩体の一部が割れて転落してきたできたのが上原谷石灰岩巨大礫だそうだ。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社の祭神
多祁伊奈太伎佐耶布都神社は、「下道国造兄彦命 (シモツミチノクニツクリ アニヒコノミコト)」を主祭神として祭っている。
明治時代に地域の神社を合祀(複数の神様を合わせて祭ること)して、「大穴牟遅命 (オオナムチノミコト)」ほか複数の神様も合わせ祭る。
また、本殿の横にあった少し小さな「赤浜宮」には、「伊奈太宿祢命 (イナタ スクネノミコト)」が祭られている。
下道国造兄彦命は、古代に備中国南部の高梁川以西で勢力をふるっていた豪族・下道(しもつみち)氏の氏神。
有名な吉備真備も下道氏だ。
そして、赤浜宮の伊奈太宿祢命は、古代・出雲国の簸川周辺で勢力をふるい、製鉄を営んでいた一族・稲田(いなだ)氏の氏神だ。
神社名から考えると、稲田氏が出雲から南下して、現在地に氏神を祭ったのが最初と思われる。
そのあと現在の山野の地まで下道氏が勢力をのばし、下道氏の氏神を同所に祭り、稲田氏の氏神は赤浜宮として別に祭られたのではないかと推測される。
なお、下道氏の勢力圏は下道郡(しもつみちのこおり)と呼ばれ、現在の総社市と高梁市南部の高梁川以西、倉敷市の真備町などが範囲。
むかしは、小田川上流域まで下道氏の勢力圏だったかもしれない。
なお、「たけきイナタの木の鞘の剣」が神社名の由来と書いたが、いまは刀剣が祭られている形跡はない。
もしかしたら、神社ができた当初は稲田氏が剣を祭っていたのかもしれない。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社へのアクセス
公共交通機関はバスのみ。
北振バスの山野田原バス停行きの路線バスに乗車。
山野田原バス停(地図)で下車し、県道104号線を徒歩で約40分。
なお、山野田原行きバスは井原市の井原バスセンター発の路線と、福山市北部のフジグラン前バス停発の路線の2路線がある。
山野田原行きバスの運賃は、井原発が500円、フジグラン前発が740円。
ただし、井原・フジグランの2路線とも運行本数がひじょうに少ない。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社へはマイカーやレンタカー、料金はかかるがタクシーを利用するのが無難だろう。
路線バスの詳細は北振バスの公式サイトを参照。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社の概要
神社名 | 多祁伊奈太伎佐耶布都神社 (たけのいなたきさやふつ じんじゃ) |
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別名 | 岩穴宮 (いわなぐう)、岩屋権現 (いわや ごんげん)、原谷権現 (はらたに ごんげん) |
祭神 | 下道国造兄彦命 (シモツミチノクニツクリ アニヒコノミコト) 大穴牟遅命 (オオナムチノミコト) 赤浜宮: 伊奈太宿祢命 (イナタ スクネノミコト) |
利益 | 不明 |
創建 | 不詳 |
旧社格 | |
鎮座地 | 広島県福山市山野町山野262 (字 上原谷) |
連絡先 | |
例祭 | 7月19日、11月3日 |
駐車場 | 有り(5台程度) |
HP | 岩屋権現(いわやごんげん) – 福山市ホームページ |
SNS | |
備考 | 社殿のある「上原谷 石灰岩 巨大礫(れき)」は広島県の天然記念物。 また神社周辺の一帯は「山野峡自然公園」となっている。 |
2019年1月時点での情報です。