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佐渡国(さどのくに)は現在の新潟県の佐渡島(さどがしま、さどのしま)に相当する旧国(令制国)です。
佐渡島は現在1島1市の佐渡市となっています。
佐渡は近年はトキの保護・飼育で知られる所。
その地名の由来をご紹介します。
あくまで当サイトでの見解です。
もくじ
佐渡国とは
佐渡国は佐渡島からなる国で、古くは「佐度」「佐土」などの表記も見られました。
書物における初見は『古事記』『日本書紀』のいわゆる国生みの話。
佐度島/佐度洲(さどのしま)として登場。大八島国の一つとなっていました。
『国造本記』では、743年に佐渡国は越後国(現在の新潟県本土側)に併合。
しかし752年に再び独立して佐渡国となります。
国内に郡は最初は雑太郡(さはたのこおり)1郡のみでした。
721年に郡が分割されて雑太・加茂(かも)・羽茂(はもち)の3郡体制に。
近世には金山・銀山の鉱山で繁栄しました。
地名の由来
佐渡の地名由来は主に2説があります。
「狭門=山に挟まれた狭い平地」説
サドは「狭門」「狭処」「狭戸」などの意で、山と山とに挟まれ狭くなった平野を表したものとする説。
佐渡島は中央に平野があるのみで、その南北に山地があります。さらに島であるためその周囲は海。平野部はかなり限られた範囲のみです。
そしてその平野部に国府などの中枢がありました。
そのためその中枢となった平野の地形状況が地名となったとする説です。
当サイトでは、広域の地名はその範囲内の一地形に由来するという考えを基本としています。
この説はこの考え方に合致します。
「雑太郷=沢田=湿地を開発した土地」説
佐渡国内には雑太郡(さはたのこおり)があり雑太郡の中には雑太郷(さはたごう)があります。雑太は雑田と表記することがあります。
サドとサハタ(サワタ)では読みが似ていますが、同じではありません。
しかし意図的に又は自然に変化した可能性は十分考えられます。
また前述の通り佐渡国は当初は国内に雑太郡1郡のみでした。さらに雑太郡の中に雑太郷があります。
国内に同名の郡名や郷名があるときは、それが地名発祥地とする、当サイトの基本の考え方を当てはめ、雑太郷が佐渡国の地名由来と考えてもおかしくないでしょう。
かつての日本は地名の好字二字化を推し進めました。
その際にかなり強引な地名の変型をおこなった事例もあります。
また郷名より郡名、郡名より国名により良い印象の好字を使用した傾向もあります。
佐渡も、雑太(さはた)を「サハタ」→「サワタ」と強引に変化させて「佐渡」「佐度」の字を当てて「サハタ」と訓じさせたと推測します。
その後に読みが訓読みになり「サド」に変化したものと思われます。
では、雑太郷はどのような由来で生まれた地名でしょうか。
雑太(さはた)とは沢田のことで、沢(古くは「さは」と読んだ)は湿地のことです。
雑太郷は現在の佐渡市 旧 佐和田町にあたるとされています。佐和田町の中心市域は佐渡島中西部の平地にあり、国府川の下流域にあたります。
地形的にも湿地であったことは容易に想像が場所です。
その湿地を開発して出来た土地であることから沢田郷→雑太郷と命名されたのです。
なお沢田は沢処(サワト)が変化してサハタとなったとする説もあります。
こちらも意味することは同じです。
当サイトの見解は「雑太郷」説
雑太の地名の意味は「湿地を開発した地」
狭門説と雑太説の2つとも国内の一地名に由来しており、どちらも信憑性があります。
当サイトでは同名の郡名・郷名がある点に着目し、「雑太郷」由来説を推します。
参考資料
- 楠原佑介ほか『古代地名語源辞典』東京堂出版
- 『日本歴史地名体系 高知県の地名』平凡社
- 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館
あくまで当サイトでの見解です。