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大野辻(おおのつじ)は、岡山県岡山市北区の地名です。旧称は、辻(つじ)といいました。
岡山市中心市街西方、JR山陽本線北長瀬駅および貨物駅の岡山貨物ターミナル(旧 西岡山駅)の南部、県道162号(旧国道2号)周辺一帯にあたります。
でもこの地名、現在は住所表記としては存在していません。
それでも現在も通称としていまだ使われ続けている地名なのです。
もくじ
概要
元は備前国御野郡内の辻村という独立した村でした。
明治になり、北隣の北長瀬との合併により辻の地名は住所表記上は消滅。
その後、北長瀬村は御野郡大野村となります。
その大野村は昭和27年に岡山市へ編入合併。
現在、かつての辻の範囲は北長瀬表町一〜三丁目南部、野田三丁目西北部、野田四丁目西南部、今一丁目北部のそれぞれの一部に相当します。
地名の由来
![大野辻バス停](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-102142_P5213190.jpg)
大野辻バス停
「大野辻」の呼称は旧大野村の辻地区という意味です。
前述の通り明治期に辻村と北長瀬村の合併で新たな北長瀬村の誕生により、辻の地名は住所表記(大字)としては消滅。
しかし辻という地域呼称は長く定着しており、その後も辻の名は地域の通称として住民から使用され続けます。
前述の昭和期における岡山市への編入により、「大野辻」の新たな呼称が定着。
現在も付近の地域通称として使用されており、施設や商店が使用していたり、小地区や町内会も存在し、交差点やバス停も存在。
「辻」の地名は、当地南部の今・中仙道との境界は東西に鴨方往来が通過し、当地内で南北方向への分かれ道があったため、十字路を意味する辻が地名となりました。
その十字路とは、現在の旧2号線 大野辻交差点にあたります。
歴史
![大野辻横断歩道橋](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-101557_P5213178.jpg)
大野辻横断歩道橋
江戸時代、備前国御野郡辻村は北部および西部は同郡北長瀬村、東部は同郡野田村、南部は同郡今村および中仙道村と隣接していました。
前述の様に東西に鴨方往来が通過し、村内に南北方向への分かれ道があったことが地名の由来です。
その分かれ口に「竹通しの茶屋」と呼ばれた茶店があったことが岡山藩の記録誌『吉備温故秘録』に記録されています。
![大野辻にこにこ遊園地](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-103128_P5213201.jpg)
大野辻にこにこ遊園地
古代においては、辻の一帯は海域でした。
現在の矢坂山のある山塊の南麓に、旭川や笹ヶ瀬川からの土砂が堆積していき、南へ干潟が広がっていき、戦国時代末期から江戸時代前期にかけて徐々に干拓されて新田が作られていきます。
辻もその中の一部でした。
しかし、「辻村」としての成立はいつなのか定かではありません。
江戸時代、寛永期(1624〜1645年)作成とされる岡山藩による寛永備前国絵図にみえる村名が資料上の初見です。
江戸時代の記録
![白鬚宮](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-103923_P5213207.jpg)
白鬚宮
江戸時代の記録誌『備陽記』には、石高230石余り、田畑14町余り、家数18、人数94人との記録が残っています。
また岡山藩の記録誌『岡山藩領手鑑』の記述では直高354石余り、蔵入(江戸幕府直轄地)と岡山藩家臣3名の領地でした。
田高246石余り、畑高10石余り、家数29、人数147、牛7、樋・分木2、橋10、肥船6、29軒全てが津高郡の日応寺(日蓮宗。現 岡山市北区日応寺の同名寺院)の檀家であると記載。
同じく岡山藩の記録誌『撮要録』には、村内に中仙道村の宝積寺の末寺であった大円坊という日蓮宗の寺院が存在。
寛文6年に廃寺になったことが記録されています。
近現代
![岡山貨物ターミナル駅(旧 西岡山駅)](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-110206_P5213224.jpg)
岡山貨物ターミナル駅(旧 西岡山駅)
明治になり、明治8年12月27日に北長瀬村と合併して北長瀬村となります。
明治22年6月1日には周辺の村々と合併して大野村を新設。
昭和27年4月1日に大野村が岡山市へ編入合併。
同市の大字 大野辻と称するようになります。
昭和57年11月20日に町名整理・変更が実施されて、現在の町となり大野辻の住所表記が消失。
![JR北長瀬駅](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-110014_P5213220.jpg)
JR北長瀬駅
平成20年9月22日、町名変更により北長瀬が北長瀬二丁目および三丁目となりました。
平成21年に岡山市が政令指定都市移行にして北区の管轄下となり、現在に至ります。
大野辻交差点と旧鴨方往来
前述の通り「辻」の由来となった十字路は、現在の国道2号線の大野辻交差点です。
しかし、当時とは交差する道が異なっています。
南北の道は道幅こそ広がっていますが、ほぼその通り。大野辻から北方面へはJR岡山貨物ターミナル駅(旧 西岡山駅)の下を地下通路で貫いて北側へ抜けています。
![大野辻 南北の旧道](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-102336_P5213191.jpg)
大野辻 南北の旧道。岡山貨物ターミナルの下をくぐって北側(大安寺)方面へ抜ける
しかし東西の道・鴨方往来は現在の旧2号線とは少しずれています。
大野辻交差点の50mほど東へ行ったところに南東方面から旧2号線へ接続している細い道があります。これが鴨方往来です。
でも旧2号線・大野辻交差点に交わると旧鴨方往来は消えてしまっています。
![大野辻交差点](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-101944_P5213186.jpg)
大野辻交差点の北西方向を望む。 この方向へ旧鴨方往来が通じていたが、現在は宅地化で消滅。
本来ならそのまま交差点の北西方向へ道があるのですが、現在は区画整理されて消滅しています。大野辻交差点北西角には現在は車検のコバックがありますが、かつてこの区画を北西方向へななめに鴨方往来が通っていました。
![大野辻旧道](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-102713_P5213195.jpg)
コバックの北側を西方向へ望む
コバックのある区画の北西角にはY字路があります。
ここで旧鴨方往来が再び現れます。丁度ユニクロ中仙道店の北側です。
![旧鴨方往来](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-103004_P5213198.jpg)
ユニクロ北側。旧鴨方往来の西側から東方向を望む。 ちょうど画像の白い軽自動車があるあたりから東へ抜けていた。
そしてそのまま西方へ旧鴨方往来が続いています。
![旧鴨方往来](https://fuuraiki.com/wp-content/uploads/2017/05/20170521-102910_P5213196.jpg)
上記画像の軽自動車あたりから西方面を望む。画面中央の道路が鴨方往来で、西方向へのびる。
施設・交通など
大野辻・辻を名乗る施設・組織など
町内会・地区
- 辻町内会
- 大野辻町内会
商店・企業
- 珈琲館大野辻店
- ココス大野辻店
- ジョリーパスタ大野辻店
- おかやまコープ大野辻店
- ユニスタイル大野辻
- auショップ岡山大野辻店
交通関連
- 大野辻交差点
- 大野辻バス停
その他の施設
- 福山通運
- 岡山ドーム
- 岡山市立病院
- 中仙道交番
交通
- 岡山県道162号(旧国道2号)
- 大野辻交差点
- 大野辻バス停
- 山陽本線 北長瀬駅
- 山陽本線 岡山貨物ターミナル駅(旧 西岡山駅
参考文献
- 谷淵陽一『岡山市の地名由来』平和納庫発行・吉備人出版製作(2002年)
- 岡山市地名研究会『岡山市の地名』岡山市(1989年)
- 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
- 黒田茂夫『県別マップル33 岡山県広域・詳細道路地図』昭文社(2010年)
- 西学区連合町内会