片岡(岡山市南区 旧灘崎) 〜 干潟から見て丘側の土地が地名の由来

片岡(かたおか)は、岡山市南区、灘崎地域(旧 灘崎町)にある大字です。

同市南区の灘崎支所(旧 灘崎町役場)所在地。なお、2013年12月24日までは支所は区役所本庁でした(現在 新庁舎完成に伴い移転)。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

「片岡」ってこんなところ


旧児島郡灘崎町の中南部に位置。 南部は山地、北部は平地となっています。

山地には九十九山(1717m)があります。
その東麓に片岡の中心となる大きな集落が形成されています。

JR宇野線が集落付近を通過。 JR備前片岡駅が所在してます。

明治中期に成立した児島郡灘村以来、周辺の行政の中枢として長年役場が置かれていました。
2005年に灘崎町は岡山市へ編入合併。合併後も旧役場が南区の区役所となり、移転した現在も同所に灘崎支所が所在。

明治後期までは現在北部の平地部は一面海でした。 その頃の一帯でおこなわれた干拓事業で大きな陸地ができ、その一部が当地に編入されています。

史跡としては素戔嗚神社、真言宗廃昌庵、三村弥太郎の拠った片岡城跡等があります。

地名の由来

干潟から見て山側(丘側)の意味

江戸時代の岡山藩の記録『吉備温故秘録』に江戸初期までは片苅(かたかり)と称したと記述があります。
また岡山藩作成の『寛永備前国絵図』にも片苅村と記載。

これは干潟のアシなどを刈って商いをしていた村であったらことが地名の由来となっています。つまり「潟刈り」が「片苅」に変化したということ。

その後、集落の発達とともに生活様態がアシの収穫から陸地での農業や漁業中心へと変化
集落も干潟寄りから山側の方へ移っていきます。それにあわせて村名も片岡村に名が変わったとされます。
これは以前に集落があったの干潟寄りの場所から見て丘側(山側)に集落があるという意味といわれます。

なお後述しますが、明治時代にさらに海域が干拓されて現在のような平地が広がります。

歴史

江戸時代は岡山藩領。前述の通り江戸時代初期は片苅村、のちに片岡村になります。

明治になり、明治22年4月1日、児島郡片岡・宗津・迫川・奥迫川 4村が合併して新たな迫川(はざがわ)を設置。片岡に役場が置かれました。
同年6月1日、町村制施行。同時に灘村と改称します。

同38年には前面の海域の干拓事業により高崎開墾(現 西高崎など)が完成。

同39年4月1日、灘村と彦崎村のうち彦崎・川張と新設合併を行い、灘崎村を新設。片岡に役場を置きました。

昭和24年4月1日には町制を施行して、灘崎町に。

平成17年3月22日に岡山市へ灘崎町が編入合併。
平成21年4月1日より政令指定都市移行に伴い、南区の管轄下となり旧灘崎町役場が区役所本庁になります。

平成25年12月24日、同区浦安南町の浦安総合運動公園隣接地に本庁舎を新築移転。旧本庁は灘崎支所になりました。

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  •  巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
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