白楽町(倉敷市) 〜 近世の干拓地。牛馬市が地名の由来!

白楽町(ばくろちょう)は岡山県倉敷市の大字です。古くは白楽市(ばくろういち)と呼ばれていました。

倉敷駅や駅前商店街、美観地区の南方で、倉敷市役所の北側。
ちょうど駅と市役所の間に位置する地域です。

高校野球で甲子園出場経験もあり星野仙一の母校としても知られる倉敷商業高校の所在地です。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

白楽町ってこんなところ

白楽町は倉敷市の倉敷駅からは南へ約1.5km、美観地区からは南へ約800mのところにあります。
南側には倉敷市役所が所在する西中新田地区となっています。
白楽町から南へ約1km行くと国道2号線バイパスに至ります。

地区内は全域が平地となっています。

倉敷平野は元は「阿知の海(あちのうみ)」と呼ばれる海でした。 当地も当然海でした。

白楽町は近世に干拓されて生まれた新田地帯。 窪屋郡白楽市(ばくろういち)と呼ばれていました。

農地が広がっていた白楽町は現在、市街の郊外化の進行で幹線道路が通っています。
それに伴って商店が多く進出。新興住宅も多数開発されて農地は減少。
郊外型市街へと変貌しています。

地名の由来

「白楽」とは牛馬の商人

前述の通り白楽町は旧称を白楽市といいました。

白楽(ばくろう)とは伯楽や博労などとも表記され、牛馬の善し悪しを鑑定して取引をする商人のことでした。

江戸時代、この白楽市の地は新田地帯ではありましたが、戎市(えびすいち)という牛馬市が定期的に開かれ賑わっていました。

そのためそれがそのまま地名となって白楽市村となったのです。

またその名残で地域内に「市場」という小字も残っています。

明治以降に度重なる合併を経て倉敷町の一部となりますが、同町が市制施行により旧倉敷市になったときに現在の白楽町(ばくろちょう)に改称されたのです。

ちなみに読みが「ばくろう」が「ばくろ」に変化しています。

なお各地の牛馬市開催地は地名に名を残しているところが多く、「ばくろ」「ばくろう」の付く地名が残っています。ただし漢字表記は各地で様々ですが。

歴史

倉敷平野は元は「阿知の海」と呼ばれる海でした。 当地も当然海でした。

長年の高梁川から流された土砂の堆積作用により、阿知の海は干潟が徐々に拡大していきます。

戦国時代の宇喜多秀家の命による干拓を皮切りに干拓地が開発されていき、徐々に南へと干拓地が広がっていきました。

江戸時代になり、元和4年(1618年)に当時東西に分かれていた高梁川のうち、東高梁川のさらに分流がつくったデルタ(三角州)が干拓されました。
これが現在の白楽町になります。

当時は窪屋郡(くぼやぐん)に属する白楽市(ばくろういち)村と呼ばれていました。
なお一部は前述の宇喜多氏時代の干拓地も村域に含まれていたようです。

最初は岡山藩の領地でしたが、岡山藩の支藩だった岡山新田藩(鴨方藩)に移って幕末に至りましす。

明治時代になって町村制施行時に白楽市村と周辺の西中新田村・笹沖村・吉岡村と合併して窪屋郡葦高村(あしたかそん)となります。

その後、窪屋郡が都宇郡とがっぺいして都窪郡に。

都窪郡葦高村は同郡大市村と合併して大高村になったのを経て、昭和2年に同郡倉敷町へ編入合併します。

翌昭和3年4月1日に倉敷町が市制施行して倉敷市(旧)となりました。
このときに白楽市の名を白楽町に改めました

その後、新・倉敷市に移行して現在に至っています。

参考資料

  •  『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
  •  『岡山県大百科事典』山陽新聞社
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。