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旧国(きゅうこく)とは、日本国内で用いられた「国(くに)」を単位呼称とする地理区分である。
近現代において、日本国全体の国家を意味する「国」との混同を避けるために、古くから日本で使用されている国という呼称という意味で便宜的に旧国と呼称される。
そして各旧国を指す名称が旧国名というわけだ。
このページでは、旧国に関する成り立ちや移り変わりを説明しよう。
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成り立ち
元々は「国」は地域、一定範囲の土地を意味する言葉であった。
その後、古代に豪族の勢力範囲を「国」と呼称するようになり、その規模は後の「国郡里制」下における「郡」1郡〜数郡くらいの範囲だった。
『魏志』倭人伝に登場する倭国の国々はこの規模であると推測される。
さらに、一定範囲の広範囲となる郡域の規模の「国」となり、さらにヤマト政権の中央集権化をすすめるため「国評里制」を経て「国郡里制」による「国」になった。
この国郡里制下の「国」を、大化の改新後の大宝律令により制定された国という意味で現代において「令制国(りょうせいこく)」「律令国(りつりょうこく)」等と呼称される。
対馬と壱岐は「島」という呼称単位であったが、国と同じように扱われた。後に「国」の呼称単位に統一された。
機能の移り変わり
大宝律令制定〜江戸時代
令制国制定当初は、令制国は地理区分であると同時に行政区分でもあった。
各国に国司、各郡に郡司、各郷に郷司を置いて統治した。
しかし、中世には荘園の台頭などにより、国司・郡司・郷司の役目が弱まり、国郡里制は行政組織としては事実上機能は無くなり地理呼称としてのみ機能した。
これにより行政区分と地理区分の呼称が一致しない状況が近世まで続いた。
江戸時代では、幕藩体制により領地区分が設定された。
だが、それはあくまで行政区分であり、地理区分は古代からの国および郡が使用される。
そのため、依然として行政区分と地理区分の呼称が不一致の状況であった。
場所によっては同じ郡内でも村によって領地(行政区分)が異なるという状況も。
近現代
明治になり府県藩制を経て廃藩置県が実施される。
実施当初は行政区分と地理区分が不一致であったが、次第に府県の統合が行われ、結果として現在のように府県の飛地がなくなった。
これによって都道府県が国に代わって地理区分呼称としても使用されるようになり、古代以来久々に行政区分と地理区分の呼称が一致した状態となり現在に至っている。
なお、「旧」の字が用いられているが、国という呼称が廃止されているという訳ではない。
あくまで「古くからある呼称」の意味である。
また、廃藩置県は「藩の廃止」と「県の設置」であり、旧国の廃止ではない。
実際に昭和中期頃まで、数は少ないが住所表記に旧国名が使われていた実績があり、その住所の郵便物が配達されていた。
現在でも駅名等で使用されている。
「旧国」といった場合、前述の令制国だけでなく、それ以前の「国」や、琉球のように以前は別国家であったもの、蝦夷のように日本人(和人)以外も居住する地域呼称も便宜的に含んで呼ぶこともある。
関連項目
こちらもご覧ください!
参考資料
- 加藤謙吉、遠山美都男、仁藤敦史、関和彦、前之園亮一『日本古代史地名事典』雄山閣
- 『日本大百科全書 ニッポニカ』小学館
- 二宮道明『地理学事典 改訂版』日本地誌研究所