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『石上布都魂神社 (いそのかみ ふつみたま じんじゃ)』は、岡山県東南にある赤磐市の神社だ。
赤磐市の旧 吉井町エリアにあり、市域の北西端に位置する。
そのため岡山市北区の御津地区に近い場所だ。
社殿の裏の山の山頂は、旧社地で、現在は本宮(奥宮)として祭られている。
そして、巨大な磐座(いわくら)があり、立ち入れない「禁足地」として結界が張られている。
出雲でヤマタノオロチを倒したスサノオが、退治に使った剣「布都御魂(ふつのみたま)」を、山頂の磐座に奉納し、それを祭ったのが石上布都魂神社の起源とされる。
石上布都魂神社は、古くは「延喜式内社」であり「備前国一宮」という由緒ある神社だ。
また、癌封じの御利益があるとして有名な神社でもある。
そんな秘境にたたずむ由緒ある古社、石上布都魂神社を紹介。
もくじ
石上布都御魂神社の概要
神社名 | 石上布都魂神社 (いそのかみ ふつみたま じんじゃ) |
---|---|
別名 | |
祭神 | 素戔嗚尊 (スサノオノミコト) |
利益 | 学業成就 安産 農業振興 癌封じ |
鎮座地 | 岡山県赤磐市石上1448 |
連絡先 | 086-724-2179 |
駐車場 | 20台程度 |
創建 | 不詳 |
旧社格 | 式内社 備前国 一宮 郷社 |
祭礼 | 例祭 (10月20日に近い日曜) 崇敬者大会 (5月3日) 祈年祭 (4月15日に近い日曜) |
HP | 石上布都魂神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 |
SNS | |
備考 |
石上布都魂神社は、備前国内でも有数の神社だ。
古代には国内の有力な神社をまとめた書物『延喜式 神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)』n乗る「式内社」だ。
備前国の赤坂郡の式内社6社のうちのひとつである。
また、備前国内の有力神社を記載した『備前国総社神名帳』で、記載の128社中「正2位」とあり、かなりの有力神社だった。
ほかにも備前国の一宮であったといわれている。
なお、石上布都魂神社のほかにも吉備津彦神社も備前の一宮だったされる。
江戸時代には、岡山藩主の信仰が厚かった。
鎮座地について
石上布都魂神社が鎮座するのは、赤磐市石上。
地名は、石上布都魂神社に由来している。
石上は赤磐市の最南西に位置している。
そのため、石上布都魂神社への参拝だけが目的なら、岡山市北区の御津地区のほうから向かったほうが行きやすい。
石上布都魂神社の参道・駐車場
石上布都魂神社へ向かうときに通る岡山県道486号線。
県道を南側から北に向かって見たところ。
上記の場所を左折する。
県道を北側から南に向いて見たところ。
北側から来た場合は、左折。
ちょうど石上布都魂神社の看板があるのが目印。
曲がる場所には、石の社号標もあった。
また、曲がる場所には神社の駐車場がある。
石上布都御魂神社の駐車場は第一〜四まであり、ここは第四駐車場だ。
境内に近いほうから第1駐車場となっている。
第四駐車場から境内までは、だいたい10分弱だ。
参道は、集落の生活道を兼ねている。
途中、第4駐車場から境内までの中間あたりに鳥居がある。
鳥居のまわりに大木もあり、この部分だけ昔のまま保存されているようだ。
現在は、鳥居の横を迂回して道が通っている。
そして、鳥居の横には第三駐車場。
第三駐車場からさきには、第二駐車場・第一駐車場が見える。
これが第二駐車場。
第一駐車場まで来れば、境内まであと少しだ。
第一駐車場の向かいに坂道がある。
ここを登っていく。
道は狭く、少し急なので気をつけよう。
途中から石段があらわれる。
石段になったら、境内はもうすぐそこだ。
石上布都魂神社の社殿など
手水舎
石段を登って、最初にあるのは手水舎(ちょうずや、てみずしゃ)。
手水鉢などは、きれいに管理されているようす。
狛犬
手水舎のところから少しだけ石段を登ると、社殿があらわれる。
石段を上がりきったところの左右に狛犬が。
左側の「ん」の狛犬。
右側の「あ」の狛犬。
拝殿・本殿
石上布都魂神社の拝殿。
拝殿は、1993(平成5年)に改築された。
そのため、まだ新しさを感じる雰囲気だ。
拝殿の脇には「式内社・備前一宮、石上布都魂神社」の社号標。
拝殿に掲げられている神社名の書かれた扁額(へんがく)。
「備前古一宮 石上布都魂神社」とある。
社殿の右脇には、小さな祠がある。
拝殿の左手には「幸魂之石」がある。
なでると、一年苦悩とは無縁になるという。
拝殿では、目の錯覚を利用した作品「格子のブロンズ」を使った賽銭箱が展示されていた。
後ろに鏡が立ててあり、手前の格子と、後ろの鏡に映る格子の形がなぜか違って見えるというもの。
なお、格子のブロンズの賽銭箱は、いつも展示されているとは限らないようだ。
本殿は、1915年(大正4年)に建てられたもの。
拝殿と異なって古い雰囲気があり、歴史ある神社らしい感じがする。
社務所・休憩所など
拝殿の向かって左に社務所。
お守りなどもここに置いてある。
ただし、時間帯によっては不在のため、お守りをいただけないこともあるので注意。
さらに、境内には休憩所もある。
休憩所の横にあるのは、御朱印所。
石上布都魂神社では、基本的に御朱印はすでに紙に押されたものを自動授与機で授ける形式だ。
しかも、自動御朱印授与機は9時〜16時まであいだと決まっているので、時間に注意しよう。
神輿庫もあった。
境内社の稲荷神社
石上布都魂神社の社殿の向かって左側に、境内社の稲荷神社が鎮座している。
稲荷らしく朱色の鳥居。
稲荷神社の社殿は小さめだ。
石上布都魂神社の奥宮(本宮)と磐座
石上布都魂神社の裏には、奥宮(本宮)があり、磐座(いわくら)がある。
少し山を登る必要があるが、石上布都魂神社に参ったら、ぜひ奥宮まで参って欲しい。
参道
奥宮への参道の入口は、境内の拝殿の左・休憩場の右にある。
上記写真の左上、車の右側だ。
奥宮へは約500m、徒歩で約15分かかる。
参道は、すべて狭い坂道で一部足場が悪いので注意。
最初のうちはセメント舗装された道で、傾斜もゆるやか。
途中から階段になり、傾斜も急に。
石段の区間は「意志の坂道」というそうだ。
けっこう急な角度だ。
石段の区間が終わると、整備されていない山道になる。
ところどころ足場が悪いところがあるので、気をつけよう。
けっこう岩がちなので、注意だ。
途中、視界が開けたところがある。
かなり高いところまで登ってきたのがわかる。
鳥居があらわれ、再び石段の道となったら、奥宮はすぐそこだ。
鳥居の扁額には「本宮」とある。
鳥居から奥宮までの石段は「迫龍の段段」と名付けられている。
石段の先、途切れているところが奥宮だ。
ここまでくれば、あと一息。
奥宮から鳥居方面を見下したところ。
けっこう急な坂だった。
奥宮は、1910年(明治43年)までここに石上布都魂神社の社殿があったところだ。
しかし、1910年に火災が発生し社殿を焼失。
その後、現在社殿がある地に社殿を建て、焼失した場所は奥宮とされた。
社殿があったころの推定図が掲示されていた。
現在、奥宮には小さな祠があるのみだ。
祠のすぐうしろに磐座が見える。
奥宮の祠には「本宮」と書かれてある。
奥宮の祠の右手には、かつて神楽殿があった跡が残されている。
本宮の祠の前から神楽殿跡を見たところ。
祠のうしろには巨大な磐座がある。
というより、磐座の前に祠がへばりつくように置かれているといった方がいい。
磐座は神聖なるものであるため、禁足地となっており、一切入ることはできない。
写真では伝えづらいが、磐座はかなり大きい。
一枚の写真にはとても収まりきれないほど。
まるで、大きな磐座の上に小さな磐座がくっついているかのよう。
写真ではわかりづらいが、よく見ると、磐座の上に縄で結界が巡らされている。
磐座と奥宮をいっしょに写してみた。
石上布都魂神社の祭神・利益・由緒など
現在の祭神は素戔嗚尊で、癌封じや学業などの利益が
石上布都魂神社の現在の御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
御利益は、学業成就,・農業振興・安産・ 癌封じなど。
特に、癌封じは岡山県周辺では有名だ。
スサノオがヤマタノオロチを倒した剣「布都魂」を磐座に奉納したのが起源
もともとは、現在の本宮の地が本来の鎮座地。
創建は不明だが、かなり古くからある。
社名の「布都魂」とは、スサノオがヤマタノオロチを倒した剣「布都御魂(フツノミタマ)」のことで、別名「十握剣(とあくのつるぎ)」。
出雲でスサノオがヤマタノオロチを倒したあと、退治に使った剣・布都御魂を、現在本宮ある山頂の磐座に奉納。
その場所に社を建てて祭ったのが、石上布都魂神社の始まりとされている。
つまり神社の名前は、石(磐座)の上に布都御魂(布都魂)を奉納した神社という意味だ。
鎮座地の地名(大字)は石上だが、それもこの話に由来している。
ただし、石上は近現代の市町村合併の影響で赤磐市(旧 吉井町)・岡山市北区(旧 御津町)に分かれている。
その後、布都御魂は崇神天皇の時代に大和国山辺郡の石上本宮に移されたという。
石上本宮に布都御魂に移ったあと、祭神をスサノオとしたと思われる。
なお、同じ赤磐市の旧 吉井町内に、スサノオがヤマタノオロチの血で染まった布都御魂を洗ったといわれる「血洗いの滝」もある。
【血洗の滝・血洗滝神社】スサノオが八岐大蛇を倒した剣を洗った場所。昼でも不気味な秘境(赤磐市吉井)
江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政が社殿を造営
江戸時代初期の寛文9年(1669年)、備前岡山藩主・池田 綱政(いけだ つなまさ)が、山頂の磐座にあった小祠を改築し、社殿を改めた。
その後、岡山藩は社記1巻と社領20石を幕末まで奉納したという。
明治43年(1910年)、山頂の社殿が火災で焼失。
そのため、大正4年(1915年)に現在地に社殿を建立した。
そして旧社地は、本宮(奥宮)となり、磐座は禁足地として祭られている。
その後、平成5年(1993)に拝殿を改築した。
石上布都魂神社の御朱印
前述したとおり、石上布都魂神社の御朱印は基本的に半紙に押印されたものを、自動授与機で受け取る。
御朱印帳を持っている場合、これを糊などで御朱印帳に貼ろう。
石上布都魂神社へのアクセス
先述のように、石上布都魂神社は赤磐市だが、岡山市北区の御津地区から行った方が便利だ。
岡山中心部と津山中心部を通過する国道53号線をとおり、御津地区の中心部へ向かう。
53号の「金川大橋」三叉路から、金川大橋を東へ渡る。
ここからは岡山県道53号線となる。
その後、突き当たりの三叉路に出るので、東方面へ曲がる。
今度は、「丹後橋」三叉路を北方面へ曲がり、県道255号線を進む(途中から県道468号線と変わる)。
そのまま道なりに約7km北上すると、石上布都御魂神社への参道、第四駐車場のところへ出る。
石上布都魂神社のみどころ
- 岡山県周辺で有数の癌封じの御利益があるスポット
- 格子のブロンズの賽銭箱
- 禁足地となっている本宮(奥宮)の磐座
せっかく石上布都魂神社まで参ったら、時間があるならぜひがんばって山頂の本宮と磐座まで参って欲しい。
石上布都魂神社の概要
神社名 | 石上布都魂神社 (いそのかみ ふつみたま じんじゃ) |
---|---|
別名 | |
祭神 | 素戔嗚尊 (スサノオノミコト) |
利益 | 学業成就 安産 農業振興 癌封じ |
鎮座地 | 岡山県赤磐市石上1448 |
連絡先 | 086-724-2179 |
駐車場 | 20台程度 |
創建 | 不詳 |
旧社格 | 式内社 備前国 一宮 郷社 |
例祭 | 例祭 (10月20日に近い日曜) 崇敬者大会 (5月3日) 祈年祭 (4月15日に近い日曜) |
HP | 石上布都魂神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 |
SNS | |
備考 |