深津(福山市) 〜 万葉集にも出る古代備後屈指の商業地だった所

深津(ふかつ)は広島県福山市の市街地東方に位置する地域です。
以前は深津郡(ふかつぐん)のち深安郡(ふかやすぐん)に属する深津村でした。

現在の福山市東深津町(ひがしふかつちょう)・西深津町(にしふかつちょう)を中心とするエリアです。

古い地名の由来は諸説あります。
あくまで当サイトでの見解です。

深津ってこんなところ

深津は福山市の中心市街地より少し東方に位置する地域です。
深津の名が付く町として東深津町(ひがしふかつちょう)と西深津町(にしふかつちょう)があります。
さらに昔は南側にある王子町(おうじちょう)や港町(みなとちょう)、東側にある明神町(みょうじんちょう)も深津の一部でした。

福山市街地の北方に蔵王山(ざおうざん)という山岳があります。
その南麓から南方へ底丘陵地が長細く突き出ています。 その底丘陵地とその周辺、および東方の平地部が深津の範囲。
この底丘陵地は現在深津丘陵深津高地などと呼ばれます。

深津丘陵は『万葉集』 第11巻に載る「路の後(みちのしり) 深津島山暫くも 君が目見ねば 苦しかりけり」という歌に出てくる深津島山(ふかつ しまやま)に比定されます。
なお「路の後」とは吉備道後国(きびのみちのしりのくに)、つまり備後国のこと。

また古代から中世にかけて「深津市(ふかついち)」という市場が開かれて、備後国有数の賑わいがありました。
平安時代初期の説話集『日本霊異記』に当時備後の国府が置かれていた葦田郡(芦田郡、あしだのこおり)から深津市に買い物に向かう説話が記載されています。

さらに深津丘陵一帯では平安時代から中世にかけての須恵器・土師器、中国からの輸入とされる磁器などが発掘された遺跡が点在。

古代から中世にかけて深津が備後有数の商業集積地であったことを伺わせています。

一方、江戸時代以降は農村でした。
深津丘陵の先端から東方の梶島まで「千間土手(せんげんどて)」と呼ばれる土手を築いて海域を干拓。
干拓地の西部の深津寄りの土地を深津沼田(ふかつぬまた)としました。
現在の東深津町3〜4丁目や明神町にあたります。

現在は市街東部の郊外型の市街として発展。
新興住宅や郊外型の商店、企業などが多く立地しています。

地名の由来

「内陸に深く入り組んだ海に面する港」が由来

前述の蔵王山から南へ突き出た深津丘陵、『万葉集』の深津島山は「島の様に見える山」ということで半島のこと。
さらに東方の山から南へ突き出た引野町の丘陵があります。この丘陵も地形から見ると半島であったと容易に推定できます。
その間の平地は江戸時代に干拓されるまでは海域でした。

東西にふたつの半島に挟まれた海域は、深く陸地側に入り組んだ形状となっています。
「深津」の地名はこの海沿いに港(津)があったことが地名の由来と考えるのが自然。
「深」は水深の深さではなく、内陸に深く入った海という意味。

前述の通り深津には「深津市」という市場があって繁栄した記録があります。

戦国時代には足利義昭が鞆に訪れた際、一時的に深津に寄ったとの記録もあります。
江戸時代には福山藩領の農村でした。

つまり古代から現代まで深津の地名は断続的に記録に残っているのです。

ですから深津の地名は深津市や深津島山の遺称なのです。

ここで気になるのは、深津の漢字が字面通りかどうかということ。
古い地名は漢字が当て字であることが多いのですが、深津はどうでしょうか。

『古代地名語源辞典』で見てみると「深」も「津」も字面通りの使われ方が多くありました。
漢字が定着する前の時代、「深」「津」は日本語の意味と中国での漢字の意味が早くに一致していた漢字のようです。

深津は深津郡の地名由来地

深津は深津郡(ふかつのこおり)の一部でした。

深津郡は深津市に郡の中枢があったから郡名に採用して深津郡となったと考えられます。
当サイトでは古い広域地名は範囲内の一地域に由来地があるという考えのもと、範囲内に同名の地名がある場合はそこが地名由来地と推定できるからです。

ちなみに深津郡の中に深津郷という郷名は見当たりません。
深津郡内の郷は大野・中海・大宅郷の3郷しかありません。
深津市はこの3郷の中のどれかの一部にあたるのでしょう。
しかしどの郷に含まれていたのかは決定的なものはありません。

まとめ

現在は平地部は市街化、丘陵も宅地化が進行してかつての面影はありません。
しかし「深津」という名が残っていることで、周囲が海だったと思いを馳せることが出来ます。

古くから書物に名を残す地名が残っていることはとても貴重なことなのです。

 

参考資料

  •  楠原佑介ほか『古代地名語源辞典』東京堂出版
  • 『日本歴史地名体系 高知県の地名』平凡社
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館