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弓之町(ゆみのちょう)は岡山市北区の町丁です。
江戸時代には岡山城下の一部。武家屋敷と侍屋敷の地でした。
当時の弓之町と鷹匠町(たかしょうちょう)の範囲が現在の弓之町となります。
岡山県の備前県民局や就実高校が所在していることで知られている地区です。
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弓之町はこんなところ
中心市街地のやや北部。
北は岡山県道402号、西は柳川筋(県道53号)、東は城下筋と三方を大通り囲まれています。
南は後楽園通りの一つ南の通りが境となっています。
江戸時代は岡山城下の中堀と外堀の間で、現 弓之町び東部は鷹匠町という別の町でした。
両町とも城の北西に位置した郭内武家屋敷町。
弓之町には俗に中屋敷と称する借長屋がありました。
また弓之町内の区分として、一時学校敷地であった裏の町、宝永2年(1705年)に牢屋が建てられ俗に牢屋の町という西袋町(現 備前県民局あたり)、切支丹(キリシタン)牢屋があったという中の袋町、渋蔵・大役長屋があった東袋町の四町がありました。
北側は外濠に限られて、侍屋敷特有の袋小路が多かったようです。
大正年間に獄屋の跡に岡山県商工奨励館が建てられます。
昭和20年6月の戦災で焼失するまで物産陳列場や音楽会や美術展覧会などに使用されていました。
昭和の町区改定で、旧弓之町の大部分とその西隣だった旧難波町の東部の一部、東隣だった旧鷹匠町が弓之町に入ります。
また弓之町南部では天神山の西方に入り込んだ地域が天神町に繰り
入れられるなど、周辺がかなり整形されています。
地名の由来
職業由来の町名
弓之町は江戸時代に弓組の侍屋敷にあてられました。また弓道師範徳山家の屋敷もありましたた。これが町名の由来です。
同様に鷹匠町は、鷹匠ならびに鷹方の者が多くいたためについた町名。
鷹居町とも呼ばれていたようです。
参考資料
- 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社
- 『岡山県大百科事典』山陽新聞社
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社
- 岡山大学付属図書館 『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版
- 谷淵陽一『岡山市の地名由来』吉備人出版
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