当サイト『きびナビ』を閲覧くださいまして、誠にありがとうございます。
運営者でライターのアサノ(@asnyskJP)と申します。
簡単に私の自己紹介と当サイトの紹介をいたします。
運営者 アサノのプロフィール

Illustration by Zoe
お仕事についての詳細・ポートフォリオ等は下記をご覧ください。


もくじ
運営者 アサノの経歴
プロレスや神社紹介・食べ歩きなどの個人サイトを運営開始(このサイトは2011年頃まで更新を継続)。
また、この年に当ブログを開設。
もともとクラウドソーシシングではWeb制作(コーディング)をメインとしていましたが、自然とライティング業務の受注が増え、Webライターとしての仕事がメインになりました。
2017年10月に開業届を提出。
アサノを語る上で外せないキーワード
活動コンセプト
- 地元(岡山県、備後地方)を中心に、地域の文化や歴史を次世代に継承する活動を、ブログ運営・ライティング・写真撮影などを通じておこなっていく。
- 岡山県と福山市など備後地方におよぶエリアを、一体的な文化エリアとして世に認知させ、地域活性化のベースとする。
- 都道府県という行政の枠組みにとらわれない地域文化を広める。
福山市周辺(備後)エリアと岡山県の繋がりをもっと深めたい
私は岡山県で生まれ育ちました。
そして現在は広島県福山市に住んでいます。
福山に住みだしてからは10年以上経過しました。
福山市を中心とした広島県の南東部は通称「備後(びんご)地方」と呼ばれています。
岡山県と備後地方は今も昔も一体的な経済・文化圏を形成。
しかし県境という政治的に作られた枠組みにより分断され、特に備後地方はその魅力を生かしきれていません。
都道府県の枠組み自体が、経済圏や文化圏を考慮されてつくられていないからです。
私は地理や地域文化などを調べてきてそう思いました。
また私はずっと人の流れやモノの流れに携わる仕事をしてきました。
だから、経済・文化・地理・歴史などの側面で福山市周辺は本当に岡山県側とのつながりが深いのが実状だということを目の当たりにしています。
行政、およびそれを基準とした枠組みのマスコミなどだけが実状とちがうのです。
だから人間でいえば心と体が分離してしまったような状況となって、福山の力が発揮できていないのではないか?そう考えるようになりました。
その考えから、当サイトでは県境にとらわれない「吉備」のエリア=岡山県+福山市周辺(備後地方)の魅力を発信することで、行政の枠組みにとらわれない、住民の生活実態・経済状況にあった地域活性を後押ししたいと思います。
地域の文化や歴史・伝統などに興味がある
地名や地理が好き
元々、地元を中心とした地域の文化や歴史に興味があり、調べることが好きでした。
それを突き詰めると、地名にぶつかります。
地名は地域というものが存在する限り、地名もまた大小のいろんなものが存在しているのです。
その地名の由来はなんだろう?と自然と調べていくようになりました。
また古い地名は地形に由来していることも多く、自然とその地に足を運び、地形と地名を比べてみたりするように。
こうして地域の地理・地形などにも興味を持ちました。
くわえて、私の出身地の総社市には高梁川という大きな河川が流れています。
かつて総社平野で高梁川が東西に分かれていました。
今では東の流れは跡形もありませんが、その流路を推定してみたいと考えています。
これも地理・地形に興味を持つきっかけとなりました。
さらに2000年代に国の方針のもと、平成の大合併が全国で実施されました。
この中で多くの地名(自治体名)が消滅したり、不自然な地名・自治体名が生まれたりしました。
地名は文化遺産だと、このとき私は思うようになり、地名を遺産だと世間に認知してもらうにはどうすればよいのか考えるように。
その結果として、ブログを通じて個人で発信していくのもひとつの手だな、と考えるようになり、当ブログの運営に至りました。
参考 「地域探訪と地名由来」の記事一覧私のストレングスファインダーを見るとわかりやすいと思いますが、私はとても好奇心が強い人間です。
興味を持ったことには、積極的に調べたり学んだりします。

古い町並や秘境的なスポットが好き
2004年からはじめた神社めぐりのサイト。
神社をいろいろとめぐっていくうちに、以下のような地域が存在することに気付きました。
- 町並み保存地区に指定されていないけど、古い町並みが残っている地域
- 建物は歴史的なものではないけど昔の風情を残している地域
自然とこのような町並みを撮影対象とするように。
同時にその町の歴史も調べるようになり、地名由来調査とつながるようになりました。
町並み保存地区でない地域は、今後失われていく可能性があります。
それを残しておきたい、多くの人に知ってもらいたいと思っています。
また、廃墟や、人里離れた隠れスポット・秘境的スポット、行事・イベントなどにも興味が向くようになりました。
まだ知られていない歴史的な場所・魅力的なスポット・イベントなどをご紹介していけたらと思います。
参考 「観光」の記事一覧
神社や神道に興味
私のWebサイト・ブログ運営の歴史は2004年の神社めぐりのサイトからはじまりました。
なぜ神社めぐりなのか?
それは地域の文化・歴史そのものだからです。
全国に大小の数え切れないほどの神社があるのは、ご存じの方も多いでしょう。
日本の神様は、一部がなくなった人ですが、その多くが「自然」です。
つまり自然と対等に、持ちつ持たれつで生きてきたのです。
そして人と自然が対面する場所が神社だと思います。
地域があるということは人が住んでいるということ。
人が住むということは、自然と共生するということ。
だから各地に神社があるのです。
地域と神社はセットのようなものです。
だから神社を知ることは、地域を知ることでもあるのかな、と思います。
そのため、地域の歴史に興味を持っていた私は、まず神社めぐりから始めてみようと考え、神社サイトの運営に至りました。
食べ歩きが好き、名物・銘菓など地域の食文化に興味
昔から食べることが大好きでした。
大人になり車を持つと、いろんな店を食べ歩くように。
神社めぐりサイトの姉妹サイトとして食べ歩きメインのブログもやってました。
好きな食べ物ですが、特にラーメン・うどんなどの麺類、カレー、丼物などが好きです。
ほかにも好きなものはたくさんあります。
一方で嫌いなものは物心ついたときからありません。
強いていうなら身体に悪影響を及ぼすものくらいです。
大きくなっても「嫌い」を理由に食べ物を残す大人が多いのは、たいへん驚いています。
その後、地域の文化や歴史に興味をもってからは、少し方向性が変わります。
単においしいものを食べるのではなく、地域の名物や銘菓など、地域に根ざしたものに興味を持つように。
食べるだけでなく、どのような歴史があるのか、どうしてその地域に定着したのか、どんなお店が提供しているのか、といったものまで調べることに面白さを感じました。
一時期、神社めぐりサイトの派生サイトとして地元の名物を紹介するページを運営していました。
しかしご当地グルメブームがおこり、各地のご当地グルメがいろんなところで紹介されるようになり、自身の名物紹介ページの意義を感じなくなり更新を停止。
でも、地元に関していえば、誤った情報が流れていたり、有名なものや話題になりそうなものばかりに情報が偏っていたりしていて疑問に思うように。
また知られていない地域の食べ物の中には消滅の危機に瀕しているものあったり、実際に消滅してしまったものもあることを知りました(水島・中田酒造の「歓びの泉」など)。
地域の食文化を少しでも残したい、そのために多くの人に知られるきっかけをつくりたいという思いで、このブログで地元を中心とした名物や銘菓を紹介することにしました。
いまではそれと並行して、自分が良いなと感じた飲食店の紹介もしています。
ライターの仕事をはじめてからは、全国の土産菓子を紹介するサイト「OMIYA!」で記事を書かせてもらえるようになりました。
こちらでも地域の銘菓を残す手助けができればと考えています。
参考 「名物・銘菓」の記事一覧 参考 「グルメ」の記事一覧 参考 OMIYA!での執筆記事一覧
プロレス
90年代初頭からのプロレスファンです。
ひとつめのきっかけは、1991年夏の新日本プロレス『G1クライマックス』という大会。
当時、新日本プロレスは土曜日の夕方で、視聴しやすい時間で放送されていました。
夏休みの土曜の夕方に、そのG1クライマックスの優勝決定戦が放送されていたのをたまたま見ました。
蝶野正洋が武藤敬司を下し優勝、さらに2人に橋本真也を加えた「闘魂三銃士」が活躍しました。
夏休みが開けて、友達がこの話題をしてきて、多くの友達がこれを見ていて、一気にプロレスファンの輪が広がりました。
私もこの輪の中に入り、プロレスファンとなったのでした。
2つめのきっかけは、翌1992年の夏、全日本プロレス中継です。
当時は全日本プロレスは日曜日の深夜に放送していたので見る機会はありませんでした。
しかし、夏休みの終盤に宿題が貯まっていた私は、日曜の深夜に必至に宿題をしていました。
そのときたまたまテレビをつけていて、放送されていたのが全日本プロレス中継でした。
その試合では三冠ヘビー級選手権が行われていて、王者スタン・ハンセンに三沢光晴が挑戦していました。
そして、三沢が渾身のエルボー・バットでハンセンを下し、見事王座を奪取しました。
いままで新日本プロレスしか見ていなかった私は、一気に三沢と全日本プロレスに引き込まれていきます。
夏休みが開けると、なんと友人たちも同じくその試合を見ていたのです。
以降、私と友人たちは全日本プロレスファンとなったのでした(新日本プロレスももちろん引き続き見ていました)。
もともと小さな時に『キン肉マン』が流行し、プロレスに関する予備知識は持っていました。
またその頃はゴールデンタイムでプロレス中継が行われていたり、前述のように80年代後半〜90年代前半は新日本プロレス中継が土曜夕方に放送していたりと、興味が無くてもプロレスの情報が入ってくる時代でもありました。
そのようにプロレスを好きになったのは、プロレスに関する土台を持っていたのもあると思います。
2004年に神社めぐりのサイトをはじめると、少し遅れて趣味であったプロレスのサイトも運営するように。
国内の主要プロレス団体の王者変遷をつづっていくサイトでした。
当時は各団体の公式サイトにはあまりそういう記録的な情報が少なかったからです。
しかし次第に各団体のサイトの内容が充実してきて、私がサイトに記録していく必要性が薄く感じるように。
そこでサイトを大幅縮小し、更新も控えめになりました。
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